立教188年2月月次祭 – 春の訪れを感じるなか
2025・3/5号を見る
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教会本部の2月月次祭は26日、中山大亮様祭主のもと、本部神殿で執り行われた。
大亮様は祭文の中で、数々の自由のお働きを見せて人々を陽気ぐらしへとお導きくださり、ご守護くださる親神様の厚き親心に御礼申し上げたうえで、「私どもをはじめ教会長、ようぼく一同は、教祖の道具衆の立場をしっかり自覚し、三年千日最後の一年を、ひたすらたすけ一条に邁進して親心にお応えさせていただき、年祭活動締めくくりの年に相応しい、賑わいと活気溢れるおぢばの姿をお見せいただけますよう心を尽くす覚悟でございます」と奏上された。
この後、かぐら・てをどりが陽気に勤められた。
冬型の気圧配置の影響で長く続いた寒波が和らぎ、暖かい日差しが降り注いだこの日の親里。各地から帰り集った参拝者たちは、だんだんと近づく春の訪れを感じながら、一心に「みかぐらうた」を唱和した。
おつとめの後、上田嘉世本部員が神殿講話に立った。
上田本部員は、神にもたれるということについて、すべてをお任せして親神様にもたれることが一番安心な、ありがたいご守護を頂ける道であると述べたうえで、「神にもたれて通る通り方の手本は、教祖のひながたにある」と指摘。教祖のひながたをたどるうえでは、「身の内かりものの自覚」「欲を離れて相手の身になる」「元なる親を知らす」という三つのポイントがあるとして、順を追って話を進めた。
その中で、人間の本当のたすかりは、元の親にもたれつくところにあり、そこに絶対の安らぎと、親神様に入り込んでいただき、自由自在にご守護いただく陽気ぐらしがあると強調。親にもたれる手だては、おつとめであり、おさづけであり、神様のお話の取り次ぎであるとして、「常に神様にもたれて、教祖を身近に感じながら歩むうちに、親神様の自由自在のご守護を頂いて、本当に人にたすかってもらえるようになる。それが神にもたれて、ひながたをたどらせていただくということ」と話した。