第7回「教祖140年祭活動」- ようぼくデイズ
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第18期読者モニターアンケート企画
親里や各地域における信仰実践や活動・行事などの意義や魅力について、読者モニターが自らの体験をもとにエピソードを語るコーナー「YOBOKU DAYS」。第7回のテーマは「教祖140年祭活動」。「諭達第四号」の中で、「教祖年祭を勤める意義」について「教祖の親心にお応えすべく、よふぼく一人ひとりが教祖の道具衆としての自覚を高め、仕切って成人の歩みを進めること」と示されている。三年千日の“締めくくりの年”、ようぼくお互いは「諭達」の精神を胸に、活発な信仰実践に努めたい。そこで今回は、「教祖140年祭活動」にまつわるエピソードを読者モニターに寄せてもらった。
教会の活動方針に沿うなか
小長谷啓太さん
48歳・華越一分教会ようぼく・名古屋市
所属教会の活動方針と目標に沿った年祭活動を心がけている。これまでの年祭活動では、3年間の実動を、なかなか継続することができなかったため、まずは教会に心を寄せ、自らも成人させていただこうと思ったのだ。
教会の活動方針は「月次祭に集まろう」と「10名のようぼく誕生」。仕事が忙しく、月次祭に参拝できないことが当たり前になっていたが、三年千日の期間、なんとか参拝できないか、と毎月意識する中で、自らの行動が変わってきたと実感する。
また、現在3人の子供が別席を運んでいる。子供が別席を運ぶのは当然と思っていたが、親の願い通りに子供が別席を運んでいることに感謝しなければならないと、あらためて気づかされた。
この2年間、教会の活動方針を意識する中で大切な気づきを与えていただいた。残り1年も、感謝の気持ちを忘れずに通らせていただきたい。
初拝読の感動をいまも胸に
川島君子さん
80歳・龍分教会ようぼく・神奈川県横須賀市
3年前、「諭達第四号」を初めて拝読したとき、教祖年祭の意義と成人の歩みの進め方を分かりやすくお示しいただいたことに感動しました。早速、娘たちに拝読を促すとともに、未信仰の娘婿の両親にも手紙を添えて「諭達」を送りました。
先日、小児外科医として勤める長女から、担当した少年の回復祈願のために教会へ参拝した、と連絡がありました。幼いころから教会に参拝する私の姿を見て育ちましたが、同じように親神様にもたれて通っていることを、うれしく思いました。孫も一緒に参拝したようで、この先も親子で教会につながっていくことを願っています。
また、一昨年に始まった「ようぼく一斉活動日」に、近所に住む姉妹たちを誘って参加しています。その中で、おたすけに少しでも動こうと思い立ち、ご近所で困っている人のお手伝いをするようになりました。「諭達」を初めて拝読した日の感動をいまも胸に、人だすけにつながる行動を日々心がけたいと思います。
外国人のおたすけを目的に
豊崎規正さん
63歳・東浅草分教会教人・愛知県新城市
日本語教育に携わるようになって6年が経つ。それまで単独布教を長年続けていた私にとって、この6年間は手探りの日々だった。
その中で、近所の男性と協力し、耕作放棄地を活用して外国人と一緒に野菜づくりを始めた。「かけはし農園」と名付けたこの活動が、地元市長の目に留まり、昨年12月の「ダイコン収穫祭」に市長自ら参加してくださった。このときの様子は地方新聞に報じられた。
私にとって日本語教育や農園の活動は、外国人に出会うための手段にすぎない。一番の目的は外国人のおたすけにつなげることだ。
これまでたくさんの外国人に出会うなか、彼らが困っているときに寄り添うことを心がけてきた。なかには私を「お父さん」と呼ぶ人もいる。私の姿を通じて彼らにお道のにをいを感じてもらえるように、教祖140年祭までの残りの日々を励みたい。
おぢばに心をつなぐ意識で
松村 純さん
50歳・博門分教会長・福岡県北九州市
一昨年、本部月次祭の「登殿参列」で、初めて本部神殿の結界内で参拝させていただいた。年祭活動の1年目に、かぐらづとめを眼前に拝し、感慨深さとともに身の引き締まる思いがした。世界中の教会のおつとめは、かぐらづとめの理を戴いて勤められる。その重みを、あらためて感じた。
年祭活動では、困ったときに頼ってもらえる教会でありたいとの思いから、おぢばに心をつなぐことを意識している。そうしたなか、今年4月から修養科の一期講師を務めることに。教会を留守にする不安はあるが、信者さん方が「教会はみんなで守るから心配しないで」と後押ししてくださっている。
最後の1年に御命を頂いたことは、親神様のお計らいだと思う。一期講師の話があって以後、教会に心を寄せてくださる人が増え、月次祭前日に泊まり込みでひのきしんをしてくださる人もいる。これもおぢばに心をつなごうと意識しているおかげだと思う。おぢばの理を戴いて、年祭当日まで一層の歩みを進めたい。
職場でもできることに努めて
古川真由美さん
56歳・大野分教会教人・鹿児島県霧島市
三年千日が始まったころ、多くの仕事を抱えていたため、年祭活動に取り組む時間がつくれませんでした。
そこで、年祭活動として職場でもできることはないかと考え、「何事もひのきしんの精神でさせていただこう」と決めました。
しかし、いざ始めてみると、さまざまな葛藤が生まれました。自分の仕事をこなしながら、職場内の雑務や、誰も手をつけていない仕事に積極的に取り組もうとしたところ、ほかの人の仕事を取ってしまったり、若い後輩たちの成長の機会を奪ってしまったりしているのではないか、と考えるようになったのです。
また、思いが強いあまり、空回りしてしまうこともありました。経験したことのない状況に陥り、心を倒しそうになりましたが、「三年千日の旬に成人させてやりたいとの親神様の親心から節を頂いた」と悟り、自らを奮い立たせて現在に至ります。
どんなときも不足せずに、親神様・教祖にお喜びいただくことだけを考えながら、残り1年を通りたいと思います。
わが師を仰いで
家族のように支えられ
西方敬子
55歳・東日分教会ようぼく・東京都江戸川区
42歳のとき、ある事情から所属教会に半年ほど住み込んだことがあります。精神的に参っていた私に、教会長の奥さまは、優しさと、時に厳しさを持ち合わせながら家族同然に接してくださいました。その中で、奥さまの太陽のように明るく思いやりの深い人柄にふれ、自分の至らなさを思い知りました。
あれから10年以上、おかげで心身ともに安定した日々を送っています。当時を振り返ると、心がキュッと引き締まるような感覚になります。
現在もよくお話をさせていただき、事あるごとに近況を報告しています。つらかったとき、まるで家族のように私を支え、たすけてくださったご恩は、この先も一生忘れません。
みんなのいちおし
1月15日号から2月12日号までの紙面の中から、読者の関心が高かった“イチオシ記事”について、寄せられた感想を紹介する。
おたすけに生きた女性 成人の歩みをたどる 大熊こま[上]
(2月12日号4・5面)
先人の元一日の苦労に心を打たれ、不自由なく日々を送る自分の成人の足りなさに気づかされました。夫と一緒に「おふでさき」を手にし、“理を頼りに”生きる意味を問い直してみたいと思います。(30代女性)
「(弟・好造の)身上に変わったことでもあったら、私も一緒に死んでお詫びをいたします」と決死の覚悟でおぢばへ帰ったときの喜びは想像もできない。ひたむきに歩む先人の姿を通して、年祭へ向かう自身の姿を顧み、奮起を促される思いがした。(50代男性)
自分自身の身上や親族からの反対など、どのような困難な状況になろうとも、常に前向きに考え、親神様・教祖を信じきって通る姿が力強く、同じ女性としてとても心惹かれました。(50代女性)