神様がお望みになる心を求めて – 新連載 綿のおはなしと木綿のこころ
2025・4/16号を見る
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「木綿のような心の人を、神様は、お望みになっているのやで」というお言葉が、『稿本天理教教祖伝逸話篇』26「麻と絹と木綿の話」に収められています。麻と絹と木綿のそれぞれの特徴にたとえてお諭しくだされたこのお話とお言葉が、私は大好きです。
ところで、あるとき、ふいに「木綿のような心って、どんな心ですか」と尋ねられて戸惑ったことがありました。なぜなら、そのまま木綿のような心であり、説明する必要がないと思っていたからです。
でも、尋ねられたからには答えないわけにはいきません。言葉にする難しさを感じながら、いまは次のように答えるようにしています。
「木綿のような心とは、とらわれのない心。どのような状況にあっても、精いっぱい人に喜んでもらえるように努める心。自分の置かれた環境や境遇、立場や役割に不平不満を募らせるのではなく、たとえ限られた可能性や能力であったとしても、それらを生かして、少しでも人のためにできることはないかと、先を楽しみに前を向いて、ひと筋に歩んでいこうとする心」と。
私は社会人になってから、あることがきっかけでつまずき、自信を失い、人に会うのが怖くなった時期がありました。人と顔を合わせるのが苦しくて、当時は生きていること自体がつらくて仕方ありませんでした。幸い、身近に親身になって支えてくださる方々がおられたおかげで、約3年間のカウンセリングを通じて、ようやく普通に人と接することができるようになりました。やがて、高校の教壇に復帰し、結婚して二児を授けていただきました。
その間、ずっと気になっていたのが、一番苦しかった当時、「居場所」がなかったことでした。どこに居ても落ち着かない、どれほど優しい言葉をかけられても焦燥感ばかりが募る一方だった私は、「ここに居ていいんだ」と心から納得できる居場所を、ずっと探し求めていました。
よし、今度は私がその居場所をつくろう」と決心したのは、3番目の子を1週間で亡くしたときです。人に会うのが怖かった経験もあって、誰とも会わなくても済む見晴らしの良い場所で、農作業をしながら、いや、たとえ何もしなくても、いつまでもゆっくり過ごせる場所がいいな、と考えました。そして、そこで何か栽培しようかと思っていたとき、たまたま手にした新聞の「綿の収穫体験会」の記事に目が留まり、「綿や!」と心の中で叫んだのを覚えています。
翌年から、生きづらさを抱えた方々のための「居場所づくり」として、綿の栽培を始めました。今年で17年目になります。綿は知れば知るほど面白くて、奥が深くて魅力的です。いまでは畑で収穫した綿から自分で糸を紡ぎ、草木で染めて機織りにも挑戦しています。先述の「木綿のような心」についての私なりの解釈は、こうした綿とのかかわりから生まれたものです。

綿作の期間は、稲作とほぼ重なります。5月から6月にかけて種を蒔き、9月から10月にかけて収穫期を迎えます。これから1年、綿の種蒔きから、栽培、収穫、加工の各工程を、季節を追って紹介したいと思います。綿への理解を通して、『稿本天理教教祖伝』や『逸話篇』に登場する教祖と綿にかかわるお話を、少しでも身近に感じていただけたら幸いです。

梅田正之【うめだ・まさゆき】
昭和34年、大阪府堺市生まれ。天理大学国文学国語学科、天理教校本科を経て、63年から同校職員。平成4年から天理教校附属高校、天理教校学園高校で教員を務める。現在、天理教校本科研究課程講師、天理大学非常勤講師。堺北分教会教人。65歳。