感謝されるより、感謝できる人に – わたしのクローバー
三濱かずゑ(臨床心理士・天理ファミリーネットワーク幹事)
1975年生まれ
真っ赤なカーネーションが街を彩り始めるころ、自分自身に問いかけることがあります。
「私はちゃんと、母親をできているだろうか?」
対人援助職の課題
「先生の子供になりたいなあ」
心理士として駆け出しのころ、相談を担当していた子供たちから、よく言われました。
ところが、仕事を辞め子育てに専念するようになると、泣いてばかりのわが子と長時間、二人きりで向き合う毎日。そのとき気がつきました。自分がこれまで、誰かに感謝されることを、どれだけ心の支えにしてきたかということに。
子育てとは本来、何の見返りも求めない営みです。うれしい日、楽しい日もたくさんありましたが、どこか物足りなさも感じていました。そして仕事に復帰してからは、久々に誰かに感謝されることが心地よく、いつの間にか母親業が後回しになっていました。
無理がたたって入院した2年前には、「神様からお借りしている身体を大切に使わせてもらおう」「もっと家族との関わりを大切にしよう」と心に誓ったはずなのに、体調が戻ると、それまで以上に仕事中心の生活に逆戻りしてしまいました。
仕事を家に持ち帰ることもしばしばで、子供と話しているときも生返事。それでも何とか家のことが回っていたのは、夫の支えがあればこそでした。
「子供たちには、人のために尽くす母親の背中を見せたい」と意気込んでいたはずなのに、気づけば家族との間にたくさんの綻びが生じていました。もしかしたらこれは、対人援助職の人の多くが直面する課題かもしれません。
本物の心の専門家に
公私ともに多忙を極めた昨年。年末から年始にかけて、心と体に全く力の入らない時期がありました。
「二十歳の記念式」(旧成人式)のために帰省してきた長女を、笑顔で祝ってやれるだろうかと、直前まで不安でした。無事に式が終わり、コタツを囲んで談笑する四姉妹を眺めていると、不意に涙がこぼれました。
「この子たちの幸せを守っていけたら、それで十分幸せじゃないか」。そう思えるまでに20年かかりました。
その涙の温もりに懐かしさを覚え、入院中に書いていた日記を、2年ぶりに開いてみました。そこには、神様のご守護に包まれている当たり前の日常のありがたさ、そして夫への感謝と子供たちへの愛情が、弱々しい文字でつづられていました。あふれる涙を拭いながら、「もう一度ここから始めよう」と思うと、少しずつ力が湧いてきました。
考えてみれば、自分の家族ときちんと向き合う余裕もなしに、誰かの悩みを受け止められるはずなどありません。仕事と家庭に向ける熱量を反比例させることなく、相乗効果を生み出せてこそ、本物の心の専門家ではないでしょうか。
来年もきっと、自分に問うことでしょう。そのときは、「あなたたちのおかげで私も幸せだよ」と、笑顔で言える自分でありたい。ささやかな日常の中に喜びを見つけ、“感謝できる人”を目指そうと思います。