「亡き母の分まで」と徳積みに励む中で – 修養科の四季
2025・5/21号を見る
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第994期
土生みなみさん
24歳・天理市・明星分教会所属
教会長子弟として生まれた私は、天理教校学園高校(当時)を卒業後、白梅寮で学び、天理幼稚園での勤務を経て、和歌山県内の幼稚園で勤めました。
そんななか3年前の9月、母が「大腸がん」のステージ4と診断されました。懸命に闘病を続けましたが、昨年3月、病状が急激に悪化。日に日に憔悴する母の姿に、「このままではいけない……」と思い、父から勧められていた修養科志願を決意しました。
また、母も父と相談のうえ、「おぢばでご守護を頂きたい」と修養科を志願。激しい痛みに耐える母を連れて、なんとかおぢばへ帰り、修養生活に臨むための準備を整えました。
しかし、修養科が始まる前夜、母は56歳で静かに息を引き取りました。これから一緒に修養生活を送れると喜んでいた矢先の出来事に、親神様の思召を悟ることができず、深い悲しみに包まれました。
告別式の後、一度は辞退も考えましたが、家族の後押しもあり、「母の分まで」と思い直し、1週間遅れの“修養の日々”がスタートしました。
相手のことを思いながら
修養生活は順調とはいかず、何度も心の壁にぶつかりました。授業で「人救けたら我が身救かる」と教わっても、生前、人のために尽くした母が、どうして出直さなければならなかったのかという疑問が拭えず、素直に受け入れられませんでした。
母の五十日祭を勤め終えてからは涙が止まらず、修養科へ通えない日が続きました。
「やはり辞退しようか」と思い詰めていたある日、クラスメートが詰所を訪ねてきて、「帰ってくる場所は、ここにあるよ」と声をかけてくれたのです。
数日後、再び修養科へ通えるようになりましたが、まだ心を立て直すことができませんでした。先への不安が募るなか、毎日のように教祖殿へ足を運び、体が動く日は回廊拭きや草抜きのひのきしんに励みました。
こうしたなか、2カ月目の終わりごろ、ある先生が、ひのきしんをする際は、たすかってほしい相手のことを思いながら、その人の分まで徳を積ませていただくつもりでやってみたらいい、と伝えてくれました。この言葉が不思議と胸に残り、「母の魂が生まれ替わってくる日を楽しみに、母の分まで私が徳積みをさせていただきたい」と思うようになったのです。
また、母が生前に遺した手記が『みちのだい』(婦人会本部発行)に掲載されることになり、目に見える形で母の思いがつながれていくことがうれしく、感動で胸がいっぱいになりました。
それ以後、親神様の思召に素直に向き合おうとする中で少しずつ心が晴れ、残りの1カ月を前向きに通ることができました。
修養中は、母の出直しを受けとめられず、神様を恨んでしまうときもありました。しかし、親神様は節を通して私たちが成人できるよう、一人ひとりに合った道を用意し、その先で喜べるようにしてくださっていると、気づくことができました。今後は、「人の痛みが分かる優しい子になってほしい」という亡き母の言葉を胸に、難渋を抱える人の心に寄り添えるようぼくを目指したいと思います。
◇
修了後、奈良県内の発達支援施設で勤務し、今年6月には自教会に戻る予定です。新たな生活が始まるに当たり、毎日が笑顔に満ちた日々になるよう、母から教わったことを胸に、感謝の心で歩んでいきたいと思います。