かぐらづとめを間近で拝見し – おやのことば・おやのこころ
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このよふをはじめてからにないつとめ
「おふでさき」六号8
またはじめかけたしかをさめる
曇り空となった5月26日、教会本部の月次祭に登殿参列し、かぐらづとめを初めて間近に拝しました。よく考えてみると、本部神殿の結界内へ入ったのは自身の結婚式以来のことです。教服を着て結界内へ参進すると薄暗い殿内の中で真座に光が差し込み、かぐら面を神秘的に照らしています。それぞれの役割を手振りに表し、厳かに調和する十人の姿は、どこか人間離れしていて、掲出のお歌にあるように、まさに元初まりの再現を見ているようでした。
これまでも、各地の教会で勤められる月次祭や大祭は、このかぐらづとめの理を戴いていると、頭では理解していました。しかし、今回の登殿参列を通して、その理合いを肌で感じるとともに、一つひとつの教会が世界たすけの重要な一ピースなのだと、あらためて実感が湧きました。
また特に印象に残ったのは、いざなぎのみこと・いざなみのみことの二つ一つの動き。元なるぢばで人間が創造されてから、魂が生まれ替わり出替わりして長い年月を歩んできたことを思えば、夫婦も親子も、きっと今生だけではない深い関わりがあるのでしょう。
前生や来生のことは分かりませんが、少なくとも“ある”と信じるだけで思案の幅が広がります。かぐらづとめは、過去から未来へと貫く大きな方向性を示しているように感じました。
(大塚)