「真の道楽」を求めて – 視点
2025・6/25号を見る
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日本の「公園の父」と呼ばれ、日比谷公園や明治神宮の森など、多くの公園の設計を手がけたほか、投資家としても知られる本多静六氏は著書『私の財産告白』の中で、職業を道楽として楽しむことによって人生の幸福を得たことを述べている。氏の体験によれば、人は自分の志向によって決めた職業を「天職と確信して、迷わず、疑わず、一意専心努力するにおいては、早晩必ずその仕事に面白味が生まれてくるものである」として、そうなれば、その仕事はもはや苦痛でも負担でもなく、喜悦であり、これこそ「職業の道楽化」であると強調している。
一方、作家・夏目漱石は、小説を書くことが趣味であり仕事でもあった。その関係について語った講演録「道楽と職業」によれば、職業とは他人本位であり、「人のためにする結果が己のためになる」つまり報酬を得る。これに対して「道楽は自己本位」であり、氏は小説を書くという道楽を本職として追求した結果、「道楽の職業化」が実現したという。
とはいえ、氏自身を現実的には「自己本位で食べていくことのできる稀な人間である」と記している。しかし現代では、ミュージシャンやゲームクリエーターなど、さまざまなエンタメ系の業種に就く人々の活躍が目覚ましい。両氏が主張するように、自己の独自性を何に憚ることなくアピールして良い社会の風潮が高まっている。
ところで、中山正善・二代真柱様に「真の道楽」(『陽気ぐらし』収載)と題する随想がある。その中で、真の道楽者とは「自己の欲するよろこびに没頭して、よろこび三昧にひたり得るものなのではないでしょうか」として、学問三昧、芸道三昧、信仰三昧に一路驀進できる人こそ憧憬の的となるべき世の真人であり、自身を含めて他の人々もそうありたいと述べられている。そのうえで、お道を信仰する者に対しては「私は、陽気ぐらしへの道のひながたは、この真の道楽者であることをよろこべる人であると思うのです」と記し、続いて「“あほうは親神の望み”と聞かせて頂いています。その“あほう”と真の道楽者と、一脈相通ずる所がありはしませんでしょうか」と道楽者の要所を提示されている。神様に信頼してもらえるところまで自分を神様に合わせていくことが信心であり、それが“あほう”になる道ならば、その道を喜び求めて、天理教信仰者としての真の道楽の姿を世に発信したいものである。
(岡本)