にをいがけの“追い風”を受け 土地所で布教実動に努めよう – 動画「座談会『布教の喜び』」から

天理教ホームページ「信仰している方へ」内で視聴できる「天理教WEB動画」では、「動画ニュース」のほか、教祖140年祭に向かう教内の取り組みを紹介する「シリーズ三年千日」など、さまざまな映像コンテンツを随時公開している。その一つ「ピックアップ動画」で先ごろ、「座談会『布教の喜び』」と題した動画を公開。攝央分教会長の浅野福太郎さん(63歳)の司会のもと、本目白分教会所属の氏家幸弘さん(30歳)、三輪山分教会所属の福家恵美子さん(29歳)の3氏が、日ごろ布教実動に歩く中で感じた“喜びのエピソード”を約25分間語り合っている。ここでは、動画「座談会『布教の喜び』」を天理時報で再現。“成人の旬”に、にをいがけ・おたすけに励む教友たちの“声”を紹介する。
浅野「“道具衆の自覚”味わう機会を」
氏家「布教こそが一番の仕事、財産」
福家「にをいがけはたすかりの万能薬」
浅野 今日は「布教の喜び」と題して、二人が布教に向かう姿を十二分に引き出しながら、楽しくトークを交わしていきたいと思います。
私は「大阪にしんの会」という布教活動の会を教友と作り、初めての人もにをいがけに生き生きと取り組めるような活動を進めています。では、二人も自己紹介をお願いします。
氏家 私は神奈川県相模原市で妻と3人の子供と暮らし、仕事の傍ら布教に励んでいます。
福家 3年前、「布教の家」兵庫寮に入寮し、卒寮後は兵庫教務支庁を拠点に半年間単独布教に歩きました。一度、所属教会に戻った後、神戸で再び単独布教に出させていただいています。


布教を始めたきっかけ
浅野 布教を心がけるようになったきっかけはありますか。
氏家 10年前の教祖130年祭活動のとき、おぢばで妻と出会い、当時、専修科生として勇んでいた彼女に“駅前布教”に誘われたことがきっかけでした。
天理駅前でのにをいがけをしてみると、三年千日の期間ということもあり、多くの布教師が熱心に布教に取り組んでいました。その熱に打たれ、後日、「若き布教師の集い」に参加し、その中で涙ながらに信仰の経験を語る教友の姿に衝撃を受け、自分も布教に歩いてみようと考えるようになりました。
福家 教祖130年祭活動のとき、岡山教区の学生会活動に一生懸命に取り組み、学生会を終えた後、ある先生から「布教の家」を勧められました。
しかし当時は仕事をしていたことから、なかなか入寮の決心がつかず、お道からも離れた生活を送るようになるなか、転勤した際に大きな節をお見せいただいたのです。この節をきっかけに神様の思召について思案したとき、やはりお道一筋で通ってみたいと思うようになり、入寮を決意しました。
浅野 大きな節というのは、一人では乗り越えられないようなものだったのでしょうか。
福家 そうですね。節に直面し、精神的に落ち込んでしまったとき、どこにも外出できなくなったのですが、当時、天理に住んでいた私は自然と神殿へ足を向けていました。
このとき初めて、神様の温もりを感じられたように思います。それまで両親の信仰があり、教えを知ってはいても、神様を感じないまま信仰していたのかもしれません。あの経験がなければ、「布教の家」には行かなかっただろうし、ここにもいないと思います。
「布教の家」での生活を通じて、いままで喜べなかったことが喜べるようになったと思います。また、人生の喜びは、どんなことでも喜べることにあり、にをいがけ・おたすけに歩き、教祖のひながたを辿ることが幸せにつながると思うようになりました。
氏家 同じ意見です。周囲の人の仕事や人生のあり方に感心する一方で、布教師こそが一番の仕事、財産だと思います。布教で声をかけた人をおぢばにお連れすると、その人の顔が一気に明るくなったり、にをいがけ先でおさづけを取り次がせていただいて、感謝してもらえたりすることがあると、神様のお働きを感じます。布教師は最高の職業だと感じています。
浅野 以前にこんなことがありました。あるとき出会った女性は、石川県に家庭があり、子供が3人いたが、自分勝手な心づかいで家を捨てて大阪へ仕事に出てきたと言うのです。それを聞き、「お道の教えでは、夫婦、親子、兄弟のつながりがとても大切であり、睦みあって働きあって陽気ぐらしをする」と拙いながらも話をしたところ、お道の話を聞きたい、と別席を運んでくれることに。その後、4席目を受けてから、仕事を辞めて石川に帰ることになったのですが、そのとき手紙を渡されました。そこには「あのとき、教祖のお言葉を聞かなかったら、自ら命を絶っていた」と書かれていました。
「言葉一つがよふぼくの力」(おさしづ明治28年10月7日)と教えられますが、布教師は、浮かんできたお言葉を相手に伝えただけで、人の運命を変えるんだと思います。
勇めないときの対処法
浅野 毎日の布教生活で、“壁”というか、今日は歩けないなという日はありますか。
氏家 あります。そういうときは無理に勇まないようにしています。嫌だなという気持ちでは、にをいは掛からないと思うからです。だからショッピングへ行くような気持ちで歩き、布教へ行くついでにあの店に寄ってみようとか、目先を変えてみるようにしています。
福家 私も同じで、勇めない日は勇まないようにしています。また目標がないと歩けないので、まずは月ごとに戸別訪問の軒数、初席者数などを決めて取り組むようにしています。
目標を決めると、あとこれだけ軒数があるからと奮起して歩くことができています。
浅野 教祖の御心を感じながら、伝道を続ける原動力というのは、どこにあるのでしょうか。

福家 やはりたすけていただいた恩返しをしたいという気持ちがあります。節に直面する苦しみに比べれば、布教のつらさは結構に思えてきます。
神様の御用をさせていただくとき、普段の自分への執着から離れて、明るくいられるのです。その意味で、にをいがけはたすかりへ向かう万能薬だと考えていて、だからこそ続けられます。布教になかなか出られない人は、そんなふうに考えてもらえればと思います。
氏家 いつも朝起きると、子供が息をしているか確認します。子供がスーハーと息をしているというだけで感謝が湧いてくるのは、にをいがけをしているからだと思うのです。
人間が明るく陽気に生きていく、運命が良くなっていく教えだと理解できるようになり、人に伝えて幸せにできる布教師という職業は素晴らしいと思います。
教祖140年祭に向かって
福家 私にとって今回が初めて意識して通る三年千日です。3年目を迎えたいま、十分な活動ができていなかったと反省しています。残りの期間、おぢばを賑やかにできるよう、一人でも多くの方をお連れして、親神様・教祖にお喜びいただきたいと思います。
氏家 ご存命の教祖に凭れながら、布教の合間に仕事、御用をする、24時間365日布教師をやっているという心構えで、教祖に喜んでいただけるように走り抜けていきたいと思います。
浅野 「諭達」が発布された翌日から「1000日神名流し」というのを、所属する大阪教区布教部で始めました。初めは、布教部だけでしたが、続けるうちに、大阪教区の各支部から教友が参加するようになり、いまでは本当に多くの方と一緒に活動しています。
なかには、初めて神名を流す人もいます。年祭活動において、布教のドキドキや恥ずかしさは“道具衆の自覚”から起こるものだと思うのです。そういうドキドキ感を味わう機会を、この三年千日の間に一度でも多く持ちたいと思います。
教祖が私たちをその場に置いてくださり、日々のにをいがけにも“追い風”を下さっていると思います。それを受けて、それぞれの土地所で布教実動に努めていきましょう。
下記から、動画「座談会『布教の喜び』」が視聴できます。