身に染みて分かる「ほこり」のたとえ – 綿のおはなしと木綿のこころ 第7回 綿打ち
2025・10/29号を見る
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江戸時代から明治時代中ごろにかけて、綿作が盛んだった奈良盆地。20年近く綿の自家栽培に取り組む筆者が、季節を追って、種蒔きから収穫・加工に至るまでの各工程を紹介する。
綿畑は、いままさに収穫の最盛期を迎えています。今年は特に豊作で、連日、心にかけてお手伝いに来てくださる方のおかげで、なんとか収穫が追いついている状況です。
綿繰りをし、種を取り除いた繰り綿には、綿繰り機の2本の木製ローラーの間を潜り抜ける際に強い圧力がかかっています。それをほぐす作業を「綿打ち」と呼びます。綿を加工する工程の第2段階です。綿打ちには、主に弓を用います。弓に張った弦で繰り綿を打ち弾き、その振動で繊維をほぐしながら同時に葉ごみなどの不純物を払い落としていきます。昔は竹で作られた竹弓か、大きな木製の唐弓が用いられました。いずれも綿打ちのための弓で、「綿弓」とも呼ばれます。
松尾芭蕉の「綿弓や琵琶に慰む竹の奥」(野ざらし紀行)という句は、綿を打つ弓の音が、琵琶を弾く音のように心に響く、という意味でしょうか。「綿弓」は秋の季語です。綿打ちを終えた綿は、「打ち綿」と呼ばれます。
「布団の打ち直し」という言葉を、ご存じの方もおられると思います。機械化が進むまで、布団屋の店内には大型の唐弓が吊り下げられ、各家庭から持ち込まれた布団の綿を、その弓で弾きながら繊維をほぐし、フワフワの布団に仕立て直していたそうです。
毎年、秋になると自宅玄関が綿であふれます。足の踏み場がなくなることも多く、家人には喜ばれませんが、私にとってはうれしい光景です。そして、綿を運ぶ際には綿がこぼれ落ち、綿繰りをすると部屋に埃が溜まり、綿打ちをすれば、また埃が舞います。さらに続く、糸紡ぎや機織りの工程でも必ず綿埃や糸くずが出ます。普段は目に見えない埃が、陽の光を浴びて舞う様子を目にするたびに、いかに埃にまみれた生活をしているのかが、よく分かります。
私たちは、親神様の思召に沿わない心づかいを「ほこり」にたとえて教えられています。そして、ほこりの心づかいを掃除する手がかりとして、「八つのほこり」を教えていただいています。
綿の加工工程において、埃は必ず出てきます。出そうと思って出す埃ではなく、いい物を一生懸命に作ろうと体を動かせば、必ず出てくるものです。綿埃は目に見えない小さなものですが、いつの間にか床にうっすらと積もり、部屋の隅で毛玉のような塊になっています。悪気はなくとも、普段の生活の中で必ず生まれてくる埃。毎日掃除すれば簡単に払えるものの、うっかりすると気がつかないうちに積もる埃を、心の使い方としてたとえられた教えは、綿に関わることの多い生活をしていた往時の人たちにとっては、なお一層身に染みて分かりやすかったのではないかと思います。
畑で収獲した実綿を充分に乾燥させて綿繰りを行い、綿打ちをし、糸に紡ぎ、時には草木染めや泥染めをして色糸を調え、機織りをする。教祖伝の時代、大和ではどこの農家でも見られた当たり前の光景です。当時の人々は、そうして家族の衣料を賄いながら、副収入を得て生活を支えていました。
それらの工程は、いまでは動画サイトなどで簡単に見ることができますが、直に見ることのできる機会があります。11月15日、天理市民会館を会場に「2025全国コットンサミットin天理――第10回記念大会」が開催されます。そこでは、畑で収穫した綿花が布になるまでの工程を見学できるコーナーも設けられます。予約不要、参加費無料ですので、興味のある方は特設サイトを、ぜひご覧ください。
梅田正之・天理教校本科研究課程講師
「全国コットンサミット」の詳細はこちらから
https://cottonsummit2025tenri.com/









