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八十歳過ぎての決断 – わたしのクローバー


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濱 孝(天理教信道分教会長夫人)
1972年生まれ

その手があったか!

私の実家には、もうすぐ85歳になる父と82歳の母が、二人で暮らしている。

3人の娘と8人の孫たちは、それぞれみんな元気に頑張っていて、嬉しくありがたい毎日だという。

「私たち、この年まで生かしてもらって本当にありがたくて。ただ、このまま満足して暮らしているだけでいいのかしら?」

二人が、教会長である私の主人にそう話したのは、去年の夏の終わりのことだった。主人は父に、「この機会に、お二人で修養科に入られるのはどうですか?」と提案した。

修養科とは、奈良県天理市にある、3カ月間の学校のようなところだ。国籍も学歴も職歴も問わず、立場も育ちも違う老若男女が寝食を共にしながら、天理教の教えを学び、互いにたすけ合って心の修養に励む。満17歳以上であれば、誰でも何度でも入ることができ、父も母も若いころに修養科を経験している。

とっさの提案に父は目を見開き、「そうか、その手があったか! よし、行こう」。即答だった。

家族ラインに父から報告があった。

「じじとばばは修養科に入ることになりました。このままぼんやり過ごしていたのでは、もったいないと思ったからです。無理せず頑張ります。応援してください」

父は数年前に腎臓がんを患い、いまもその後の治療を続けている。母は2年前に両膝の人工関節置換術を受けたばかりだ。

普段は天理市にある自宅マンションで、悠々自適の暮らしをしている。規律正しい団体生活なんて、できるのだろうか。

来てよかった

2月の終わり、これから3カ月寝泊まりする信者詰所に、私も一緒に荷物を運び入れた。二人が暮らしやすいようにと、詰所の先生方がいろいろと心をかけて準備し、大事に迎え入れてくださった。

3月、それぞれ60年ぶり、50年ぶりの修養科生活が始まった。ほとんど年下のクラスメートたち。身体の不自由な方や高齢者に優しいスケジュール。教えを学び直し、仲間の話に共感し、二人で待ち合わせをして一緒に詰所に帰ってくる。

父が時々、家族ラインに書いてくれる【修養科通信】には、みんなに大事にされ、新鮮な生活を母と楽しむ様子が、いきいきと綴られていた。

3カ月の途中に、二人は60年目の結婚記念日を迎えた。詰所の先生方がサプライズで、ケーキを手作りして祝ってくださった。送られてきた動画には、感激して涙を流す母が映っていた。

イラスト・ふじたゆい

周りの方々の支えのおかげで、無事に3カ月を終えたとき、二人はその生活が終わることを、とても寂しがっていた。

心配しながら送り出した私たちも、両親が以前よりもずっと、いきいきと元気になって帰ってきて、本当に嬉しかった。

どんな年齢でも、どんな状況でも、その気になって飛び込めば、神様がしっかり守ってくださる。そして誰もが来てよかったと思う。そんな場所なんて、世界中を探してもどこにもない。修養科は特別貴重な場所なのだ。


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