誠実なメディアのあり方を求めて – 視点
2025・11/5号を見る
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「ペンは剣よりも強し」とは、イギリスの政治家で小説家のエドワード・ブルワー=リットンが、1839年に発表した戯曲『リシュリューあるいは謀略』の中で述べた言葉である。また、N国党党首の立花孝志氏はNHKの職員時代に「テレビは洗脳装置であり核兵器に勝る武器である」と教育されたという。メディアが庶民に与える影響は大きい。
日本におけるメディアは、江戸時代の「かわら版」に始まり、近代新聞としては明治初期の明治4年に日本初の日本語日刊紙として創刊された『横浜毎日新聞』が最初である。その後、『東京日日新聞』『郵便報知新聞』など、次々と創刊された。購読者の減少はあっても、現在も新聞はメディアの代表の一つである。
ラジオもテレビもなかった明治時代、新聞が報じる日露戦争の進捗と結果に興奮した民衆は、賠償金を獲得できなかったポーツマス講和の小村寿太郎外相の外交に憤慨し、講和賛成を唱えた国民新聞社や内務大臣官邸を襲う「日比谷焼打事件」を起こした。
大正に入り、大正14年にラジオ放送が始まる前の9年、天理教校長に就任した増野道興氏が、『道乃友』10月号で「街頭に立て、巷に出でよ、其の声を高うして、天理王命の名を唱へよ」と信仰者を鼓舞したことにより、天理教における路傍講演が始まり、同じころ、神名流しも始まった。そして翌10年、5年後に迎える教祖40年祭へ向かう「諭達」が発布され、「教勢倍加」が打ち出された。教祖40年祭までの5年間、教校別科の卒業生を中心とした教信者は、壮絶な布教に励んで教会数、教師数、信者数は倍増したのである。それゆえ、教祖140年祭の三年千日の間に、創立100周年を迎える教会が多い。
近年、SNSの普及や政治を扱うYouTube番組の急増により、テレビ、新聞などの世論を誘導する偏向報道が明るみになり、“オールドメディア”などと揶揄され、信頼を失いつつある。
本教では「誠の心と言えば、一寸には弱いように皆思うなれど、誠より堅き長きものは無い」と教えられる。数々の利権が絡む大手メディアに、公平公正な報道を期待するのは難しいことなのかもしれないが、メディアのあり方が変化しつつあるいま、誠実な報道を期待したいものである。
(田邊)









