節目の年を迎えて – わたしのクローバー
三濱かずゑ(臨床心理士・天理教教養室(修養科)世話掛)
1975年生まれ
20歳の誕生日を迎えたときから、10年ごとに言っている気がします。
「〇歳って、もっと落ち着いた大人になってると思ってた」
小さな親切で幸せに
まだ残暑の厳しかった9月の出来事です。昼休みに神殿に参拝し、職場に戻る途中、タクシーから降り立った男性に道を尋ねられました。その男性からは、ただならぬオーラが醸し出されていました。
「このまま進んで、突き当たりを……」と私が説明し始めた途端に、男性は「しまった! スーツケースがトランクに」と、慌ててタクシー会社に電話をかけだしました。
少し離れた駐輪場から様子を見守っていましたが、タクシーはなかなか戻ってきません。その間に道をお教えしようと、声をかけたところで、タクシーが戻ってきました。
昼休みの時間がまだあったので、私はそのまま自転車を押しながら、男性を案内することにしました。頂いた名刺を見ると、偶然にも、大学生の長女が暮らす県選出の国会議員さんでした。それも、娘の下宿先から一駅の所に事務所があるというから驚きです。
目的地に着き、笑顔でお別れしたあと、自転車を漕ぎながら、なんだかとても清々しい気分になりました。
誰かに親切にすると、脳内に「幸せホルモン」が分泌されて、自分も幸せな気持ちになれると聞いたことがあります。この出来事をきっかけに、困っている人をいつでも手助けできるよう、“忙しいオーラ”を出すことなく、時間と心に余裕を持って暮らすことを心がけています。
教祖の温もりを心に
ずいぶん前に、『みちのとも』という雑誌に掲載された、ある宗教家の手記を読んだことがあります。
大正の初めごろ、大和の奥地の寺に参った帰りに天理教の本部を訪れた。神殿と教祖殿に参拝したものの、正直言って教祖を鮮やかに感じることはできなかった。そこで、教祖の墓地に参ろうと、向こうから歩いてくる信者に道を尋ねると、「あの山です」とだけ答えて忙しそうに行き過ぎた。
教えられた山のほうへ歩きだすと、後ろから追ってくる人がある。見れば先ほど忙しそうに立ち去った信者で、「ご案内いたしましょう」とのこと。「お忙しいのに」と辞退したが、その信者は何かに祈るように、「先ほどお別れしたあと、『なぜ道を案内しなかったか』と神様に叱られましたから」と言う。
その言葉に教祖の存在を確かに感じ取った。立派な神殿や教祖殿さえも、その信者の言葉と行いには及ばなかったという、そんなお話でした。
2026年の1月26日、天理教教会本部で「教祖140年祭」が執り行われます。教祖は、お姿を直接拝することはできませんが、今も私たちを温かく見守り、お導きくださっています。この10年に1度の大切な節目に、”人間のふるさと”である親里・天理に帰り集う人たちに、ここに教祖の温もりが確かに息づいていることを感じていただきたい。そんな風景の一コマに、溶け込めている自分でありたい。
50歳の誕生日を迎えたばかりの今、遅まきながらそう願っています。



