真実の種は芽吹き続ける – 成人のビジョン 42
2026・1/28号を見る
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三年千日と仕切った年祭活動も、残りわずかとなりました。令和7年の秋季大祭で、真柱様は「つとめたらつとめただけのご守護は現れてくる。また、いましっかり動いたことは、これから先の歩みのための種蒔きである。無駄になることはないのである」と諭されました。どれほどの教友が、このお言葉に励まされ、救われたことでしょう。
この3年間、私は「この旬に真実の種を蒔こう。教祖は必ず受け取ってくださる」と心に念じ、人にも伝えてきました。種は小さい。けれどその小ささの内に、無限の可能性を宿します。
年祭が勤められる年を迎え、ある想いが胸に迫ります。それは「ほかならぬ教祖こそ、50年の長きにわたり、真実の種を蒔き続けてくださったんだ」という想いです。
雨の日も風の日も、子供可愛い一条の親心から、真実の種を蒔き続けてくださった。その種は、確かに芽吹いている。現在、私たちが信仰しているという事実そのものが、その何よりの証しではないか――。140年以上前に蒔かれた真実の種は、決して無駄になることはなかった。それは私たちが一番よく知っています。
元の理において、いざなみのみことは、子数をすべて産みおろされますが、子たちは三寸まで成人したところで皆出直します。さらに産みおろされ、今度は三寸五分で皆出直し、産みおろされること三度、四寸まで成人したところで、「これまでに成人すれば、いずれ五尺の人間になるであろう」とにっこり笑って身をかくされます。
そのいざなみのみことの魂のいんねんある教祖は、明治20年陰暦正月二十六日、陽気なかぐらづとめの音を聞かれ、静かに現身をかくされました。そのご様子は「いとも満足げに見うけられた」とあります。
元の理とひながた、両者に流れる母親の魂の親心。そのおかくれのご様子からは、いずれも、親の安心や期待、喜びがにじんでいます。「いずれ五尺の人間になるであろう」。教祖がお姿をかくされたのも「心の成人のめどがついたから」、そう私は悟ります。
時代とともに道の姿はさまざまに移り変わることでしょう。しかし私は確信します。教祖が蒔かれた真実の種は決して消えることはない、と。次の世代は五分五分と成人した魂が担ってくれる。その未来を胸に、今日も私は種を蒔きます。
可児義孝・河西分教会長












