「豊臣兄弟!」の主人公秀長にまつわる史料公開 – 天理大学
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「菊岡家文書」中間報告会
天理大学(永尾比奈夫学長)は2月16日、奈良市内で古くから続く菊岡家に伝来する古文書群「菊岡家文書」の調査に関する中間報告会を、奈良市のつる由別館で開催。調査の過程で、現在放映中のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公として注目を集める戦国武将・豊臣秀長にまつわる書状が発見され、秀長が大和国の支配を確立していく過程の一端が明らかになったことを公表した。
中世以来続く菊岡家は、興福寺に所属する僧侶兼武士を指す「衆徒」の家柄で、今日に至るまで約2千点に及ぶ古文書を伝えてきた。
昨年4月、奈良県による古文書所在調査を契機に、天理大人文学部の幡鎌一弘教授と天野忠幸教授が同家を訪問。戦国期の新史料を確認したことから史料群全体の把握が必要と判断し、同家の許可を得て本格的な調査に着手した。
その結果、羽柴秀長(豊臣秀長)が大和国内(現在の奈良県)で支配の正当性を確立していく過程を示す書状など、歴史的に重要な史料の存在が明らかになった。
16日の報告会では、整理作業で見つかった戦国時代と安土桃山時代に関わる未公開史料6点を初公開。研究を担った両教授が、その内容と意義について解説した。
統治手腕を示す貴重な書状
秀長は、高い軍事能力と経営管理能力をもって兄・豊臣秀吉を支え、天下統一を推し進めた補佐役として知られる。天正13年、秀長は四国平定の功績から大和国を拝領し、郡山城を拠点に近世大和の礎を築いた。
今回の調査で見つかった天正13年の書状は、秀長の有力な家臣・横浜良慶が、興福寺に所属する衆徒に宛てたもの。秀長が大和国を拝領し、郡山城へ入城した直後の時期と推定されている。
書状には、春日大社(奈良市)の摂社である若宮の例祭「春日若宮おん祭」を予定通り執行するよう、祭礼を取り仕切る衆徒に命じる内容が記されているほか、「従わなければ今後は願いを聞き入れない」という文言も確認できる。
当時、興福寺は、豊臣政権による領地没収に反発し、おん祭の執行を渋っていた。秀長が祭礼の執行を命じ、寺側が反発した経緯は、興福寺僧の日記『多聞院日記』に記されているものの、具体的な指示内容は、これまで不明だった。
このたびの書状からは、奈良の伝統文化の要であるおん祭を主導することで、自らが大和国の正当な支配者であることを示そうとした秀長の意図が読み取れる。
幡鎌教授は「入国後の秀長は、当時強大な力を持っていた寺社勢力に対し、武力に頼るだけでなく、伝統的な祭礼や寺社の権威を巧みに活用することで支配を強固にしようとした。この書状は、その統治手腕を具体的に示す貴重な史料だ」と話した。
このほか、秀長が衆徒を束ねる棟梁として認められた可能性を示す史料や、戦国時代の武将による書状なども紹介された。
報告会に同席した菊岡家当主の菊岡泰政さんは、「今回の調査をきっかけに、一人でも多くの方が奈良の歴史や文化に関心を持ってくださったらうれしい」と話した。
なお、報告会の内容は新聞各紙で取り上げられた。










