「ようぼくの実動日」に地域の教友と共に歩く – ドキュメント「全教一斉にをいがけデー」
9月28日から30日にかけての「ようぼくの実動日」に、“胸から胸へ”のにをいがけに勤しむ――。「全教一斉にをいがけデー」に参加した各地の教友の姿をドキュメントで紹介する。
「にをいがけデー」初日の9月28日午前。東京都練馬区には澄んだ秋空が広がった。
宮越精市さん(71歳・豊喜分教会豊宮布教所長・練馬区)は練馬駅前でリーフレット配りに勤しむ。
教祖120年祭へ向かう年祭活動としてリーフレット配りを始めて以来、コツコツ続けているという。「断られることも少なくないが、なかには話を聞いてくれる人もいる」
この日もリーフレットを配っていると、一人の男性に話しかけられた。その男性は過去におぢば帰りをしたことがあり、天理の人たちにとても親切にしてもらった思い出を、うれしそうに語ったという。
宮越さんは「『このような社会情勢の中でも、どうか頑張ってください』と応援してもらった。これを励みに、これからも自分にできることをコツコツ続けていきたい」と語った。
続けることが勇みの種に
「普段の一人でのにをいがけと違って、教友と共に、思いを語り合いながら新鮮な気持ちで実動することができた。教祖140年祭へ向かう三年千日活動で、より一層にをいがけ・おたすけに力を入れたいとの思いを強くした」
そう話すのは、佐藤真太郎さん(28歳・沿川分教会長後継者・青森県板柳町)。
8年前の冬、父親の出直しという大節に直面した。心を倒しそうになるなか、をやの思いに応えられるように、成人の歩みを進めていこうと心に誓った。
こうしたなか、7年前の天理教校専修科在学時に、中山大亮様の講義を受けた。その際、「教祖130年祭に向けてそれぞれが心定めを」と促された。この講義をきっかけに、佐藤さんは一念発起し、自発的ににをいがけに歩くようになったという。
専修科卒業後は、本科実践課程、大教会での青年づとめを経て「布教の家」に入寮。4年前からは、地元・青森で路傍講演と1日100軒の戸別訪問を心に定めている。
今年の「にをいがけデー」では、青森教区西北一支部の教友と共に、五所川原市内で路傍講演や戸別訪問などを行った。話を聞いてくれる人はいなかったが、「諦めずに続けることが勇みの種になる」と、この日も100軒の戸別訪問を勇んでつとめた。
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翌29日午前、秋らしい爽やかな日和となった三重県津市で、森谷富美恵さん(56歳・村主分教会教人・津市)と、正木誌乃婦さん(65歳・村主分教会長夫人・同)が戸別訪問に歩く姿が見られた。
以前は、控えめな性格から、なかなか実動できずにいたという森谷さん。そんななか8年前、日ごろからにをいがけに歩く正木さんに誘われ、二人で戸別訪問をするように。
以後、津市内でのにをいがけを月1回続けてきた。その中で少しずつ仲間が増え、現在8人の教友が実動しているという。
戸別訪問の際は『人間いきいき通信』を活用。路傍講演でも同紙の内容を読み上げるほか、道行く人に手渡している。
「普段から『人間いきいき通信』に目を通す中で、心がスッとすることや励まされることがある。私から手渡された人たちにも、同じような喜びを感じてもらいたい」。そう話す森谷さんは「にをいがけデー」当日、約100部の『人間いきいき通信』を手渡した。
森谷さんは「正木さんがにをいがけに誘ってくださったおかげで、この道を楽しんで通らせてもらっている。これからもにをいがけを続けて、お道の良さを広く社会へ伝えていきたい」と語った。
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同日午前、宮崎県延岡市の団地の一角では、西谷彰二朗さん(46歳・眞三分教会長後継者)と真理さん(43歳・同夫人)が、リーフレットを手に住人に笑顔で声をかけていた。
彰二朗さんは信仰3代目。幼いころから教えに親しんできたが、大学卒業後に就職し、仕事に打ち込む日々を送るうちに、信仰から心が離れかけていった。
4年前、うつ病を患ったことをきっかけに、修養科を志願。親里で3カ月生活する中で、徐々にお道の教えが胸に治まり、心が前向きになっていったという。
その後、真理さんと結婚。上級教会での住み込みを経て、今年8月から自教会で暮らすようになった。
西谷さんは「戸別訪問をする中で、地域に一人暮らしの高齢者が多いことを知った。また、困っていても『助けてほしい』と言えない人がたくさんいると感じている。うつ病に苦しんだ私だからこそ、病む人の気持ちが分かると思う。これから一人でも多くの人の心に寄り添っていきたい」と話す。
「布教の家」寮生やOBも
全国各地の「布教の家」寮生は「にをいがけデー」期間中も、日ごろと変わらぬ布教活動を行った。
9月30日午前、神戸市は汗ばむ陽気に。「布教の家」兵庫寮の中村仁和さん(28歳・上大照分教会長後継者)は、王子公園駅周辺で路傍講演と戸別訪問に精を出す。
入寮するまで、布教経験は全くなかった。そんな中村さんが入寮を決意したのは、兵庫寮に入った友人が成人していく様子に感銘を受けたからだという。
「にをいがけデー」当日、路傍講演をしていると、初老の男性に声をかけられた。話を聞くと、かねて寮生たちの熱心な布教の様子に感心していたとのこと。中村さんは、天理へ行ったことがないと話す男性に、「一緒におぢばへ帰りませんか?」と帰参を促した。
中村さんは「親神様・教祖のお供をさせていただいているという意識を持って、どんな困難があろうとも、自らの行いを教祖のひながたに照らし合わせて布教を続けていきたい」と語った。
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同日、爽やかな気候に包まれた岡山市の住宅街で戸別訪問に歩くのは、住原大樹さん(30歳・菊水分教会長後継者)。
3年前、“信仰の芯”を確立すべく、「布教の家」岡山寮の門を叩いた。卒寮後も、信仰者としてのさらなる成人を目指し、岡山市に残って単独布教を続けている。
こうしたなか今年6月、腰に身上を見せられた。なかなか思うようににをいがけ活動ができず、精神的にもつらい状態に陥っていたという。
「親神様・教祖は身上を通じて、私に何かをお知らせくださっている。このままではだめだ」
「にをいがけデー」が近づくにつれ、思案を重ねた住原さんは、「ようぼくの実動日」である3日間、しっかり実動しようと決心したという。
迎えた「にをいがけデー」では、腰の身上が悪化することなく、無事に3日間の戸別訪問を終えた。
住原さんは「腰が痛む中も、無事に実動できたのは、ひとえに親神様・教祖の親心のおかげ。その親心に応えるべく、これからも残りの人生すべてをかける気持ちで、にをいがけ・おたすけに努めていきたい」と力強く話した。