第27話 人生は素敵なことばかりではない – ふたり
そして事件が起こった。母親と一緒に「えほんの郷」を訪れた小学生の男の子がいなくなったのだ。母親は子どもを残して用事を片付けるために町へ戻った。夕方には迎えに来ると言っておいた。そのあいだ男の子は絵本を読んでいるはずだった。
いなくなった子どもの両親、のぶ代さんと保苅青年、それに省吾さんも加わって農場の周囲を探した。あたりはしだいに暗くなってくる。
そのころ新太は一人で近くの稲荷神社にやって来ていた。半月ほど前に、両親に連れてきてもらったことがある。今日は一人で行ってみようと思った。前回は縁日で、大勢の人で賑わっていた。神社の参道には露店がたくさん出ていた。いまは店もなく、あたりはひっそりとしている。
石段のところで、キツネが怖い顔をして見ていた。赤い前掛けをしている。石段の外の暗い森のなかに、たくさんの鳥居が並んでいるのが見える。赤い幟が風になびいている。どうして赤ばかりなのだろう?
急に心細くなった。こんなところに一人で来たことを後悔した。早く家に帰りたい。でも、どっちへ行けばいいのかわからない。誰か知った人に会わないだろうか。
拝殿の軒下に吊るされた提灯が薄暗い明かりを落としている。賽銭箱の前で手を合わせた。前に来たとき、みんなそうしていたからだ。たしか手も叩くのだったが、いまは物音を立てないほうがよさそうだ。新太はぎこちなく手を合わせるだけにした。ついでに頭を下げた。
顔を上げると、拝殿の柱の陰からキツネがこっちを見ていた。思わず息を呑み、それから一目散に駆けだした。キツネは追いかけてくる。いつの間にか声を上げながら走っていた。泣き声とも、絶叫ともつかない声だ。
彼はいま重大なことを学ぼうとしていた。人生は素敵なことばかりではない。危険なことや怖いことも待ち受けている。友好的で幸せに満ちていた世界は突然様相を変えた。そこから全速力で逃げ出そうとしていた。
石の鳥居を抜けた。もうすぐ石段だ。だがキツネのほうが足は速い。どうすればいい? どうしようもない。このままではつかまってしまう。
石段のところに知らない顔が二つあった。男の人と女の人だ。この人たちなら安心できそうだ。新太は二人のほうへ走り寄った。あとからキツネがやって来る。「みつる」。女の人が言った。安堵とも叱咤ともつかない声だった。「心配したじゃないの。こんなところで何をしていたの」
作/片山恭一 画/リン