一人ひとりが自ら求めて – 視点
10月26日、秋季大祭に「諭達」をご発布くださる。いよいよ来年、教祖140年祭へ向けての三年千日活動に入る。その前に、押さえておきたいことがある。
私たちは教祖から、どんな親心をかけていただいているだろうか。まず親神様がおられること、その十全のお働きのおかげで私たちは生きており、心の使い方によって陽気ぐらしができることを教えてくださった。また、陽気ぐらしをする方法を手本ひながたとして自らお示しくださり、一人ひとりをたすけあげて道につけ、つとめを教え、さづけの理を渡してくださった。教祖お一人から道が始まり、初代や先祖がたすけていただいて今日の自分につながっているおかげで、私たちは結構に暮らしている。
そしてそれだけでなく、教祖はいまも存命のまま私たちをお見守りくださっている。たとえば、筆者が事情などで悩んでいるとき、朝夕のおつとめで教祖の御前にぬかずくと、ふと打開策が浮かび、その通りにしてうまく行ったことが幾度もある。存命の教祖がご教示くださったと悟っている。
また、おさづけの理を取り次がせていただいて、不思議なたすけを目の当たりにするとき、教祖の存命のお働きを最も強く感じさせていただく。教祖を間近に拝せなくなって長い年限が経つが、頂戴しているご恩は変わらず、いまも確かに一人ひとりをたすけ導いてくださっている。なんと有り難いことだろうか。
教祖は、世界一れつの人をたすけ、陽気ぐらしへ向かう道を歩んで伸展させることを、後に続く者に託してくださった。教祖140年祭の時旬に道を歩む者として、尽きせぬ親心にお応えし、微力であっても精いっぱい力を尽くして、成人の姿をご覧いただき、教祖にご安心いただくようにつとめたいと思う。一人ひとりが自ら求め、教祖にお応えしようという心をもって「諭達」を拝したい。
(松村義)