第29話 終わってしまうものは一つとしてない – ふたり
どうして人間が一言主の神さまなどというものを信仰したがるのか、わかる気がした。人は生きているあいだに一度は、「この願いだけはどうしてもかなえてほしい」と思うことがある。長く生きていれば一度では済まないかもしれない。先のことはわからないが、そのときの「この願い」は、絶対にかなえてもらわなければならない。
カンが一言主の神さまに託した願いは、ツツたちが事故に遭わないことだった。それがあの子にとっての、どうしてもかなえてもらわなければならない「願い」だった。いままた一言主の神さまにすがりたくなるような、重大な困難が立ち現れていた。
のぶ代さんと保苅青年が新太の様子を見ておかしいと思ったのは、全身が紫色になっていたからだ。それは身体のなかの血がうまく流れていないことを示している。二人はすぐに救急車を呼んだ。運び込まれた病院で応急措置を受けた子どもは、検査のために街の大きな病院に移されることになった。
ほどなく原因がわかった。心臓を仕切っている壁に穴が開いているため、血液が逆流しているらしい。かなり大きな穴なので、手術をして塞いでやる必要がある。幼児には負担の大きい手術だった。手術が原因で起こってくる別の病気の心配もある。
医者から説明を受けたあとで、のぶ代さんは言った。「ずっと水のなかに潜っている感じ。苦しくて息ができない」
息ができない人たちはどうするのか? たとえば一言主の神さまにお願いをする。苦しくて息ができないときに束の間、空気を吸い込めるところ。それが海上の小島に鎮座する、生涯に一つだけ願い事をかなえてくれる神さまなのだろう。
「新太はわたしのおなかのなかで、小さな卵から魚になり、鳥になり、ようやく人間になった。何十億年をたった十カ月で生きたのだから、少しくらいミスがあるのは仕方ないよね」
のぶ代さんは自分に言い聞かせるように、これから胸にメスを入れられようとしている幼児に語りかけるように言った。
わたしはこんなことを想った。いまこのときも、魚になったり鳥になったりしながら、数知れぬ胎児たちが母親のおなかのなかで育っている。いろんな子どもたちが生まれてくる。そして誰かが、一言主の神さまに祈っている。
地球は静かに回りつづけ、海は満ち干を繰り返す。遠い海の彼方から昇った太陽の光が島の木立の奥に届くと、そこをねぐらにする小鳥たちが目を覚ます。彼らのさえずりで、一言主の神さまは宇宙の果ての深い夢からゆっくり戻ってくる。
潮の香り、風の香り、命の香り。木々の葉が静かに揺れている。終わってしまうものは一つとしてない。朝の光のなかで、わたしも新太のために祈った。
作/片山恭一 画/リン