宗教と報道について思う – 視点
近ごろ旧統一教会の問題がテレビで取り上げられるたびに、マスコミが宗教について報じる難しさと責任を思う。宗教学者の山折哲雄氏は「今回、旧統一教会の問題で注目される『霊感商法』などは、今に始まったことではない。特殊な犯罪行為と結びつく場合がしばしばあった。(中略)何十年にもわたり反社会的行為が見過ごされてきたことについては、最前線にいたジャーナリズムの責任も大きいといえる」(『産経新聞』9月25日付)と指摘する。
山折氏は日本を代表する宗教学者の一人である。自身も僧侶の子として生まれ、大病を経て、宗教と人間について深い識見をもつ信仰者でもある。氏は先の紙面で「旧統一教会の信者の子の代が『宗教2世』という言葉で報道されるようになったが、実は私も純粋な『宗教2世』だ」と、苦笑する。
かつて筆者が、山折氏を取材したときの話を思い出す。
氏は、オウム真理教が凄惨なテロ事件を起こした当時、多くのマスコミからコメントを求められたことを次のように振り返る。「問答を交わしているうちにちょっとおかしいなと思った。それでディレクターや新聞記者に『あなたの宗教は何ですか』と聞いてみた。ほとんどの人が無神論者だとお答えになった。(中略)『無神論者が、ああいう宗教的事件をどういう立場で、どういうシナリオで報道するのですか』と聞いてみると、みんな黙ってしまう。しばらくしてから『学校で宗教のことをさっぱり教わりませんでした』と言う」(『あらきとうりよう』第184号)
冒頭に、マスコミが宗教について報じる難しさと責任を思うと書いたのは、山折氏の「ちょっとおかしいな」という思いに近い。今日、さまざまなメディアを通して、私たちの信仰についての評価を受けることも少なくない。しかし、そのコメントが思想的あるいは宗教的にどのような立場から発信されているものかについては、一考の必要があると思うのである。
(橋本)