デイサービスでおたすけ – 懸賞エッセー入選作品
テーマ 私の「陽気ぐらし」
永井幸子 94歳・愛一分教会教人・愛知県豊橋市
数年前、主人が92歳で出直しました。以前は主人が運転する車で信者さんのところへ行って話を聞かせてもらったり、おさづけを取り次いだりしていたのに、足も痛くなり、家の中にこもって本や『天理時報』を読んだり、居眠りしたりする生活になってしまいました。
会長夫妻や娘たちが、何もしなくなった私が老化していくのを心配し、デイサービスへ行くように手続きをしてくれました。週に1日だけ行くことになり、平成28年8月、初めて出かけました。
到着して入り口で手指消毒をして部屋に入ると、利用者の方が12、13人、指導員の方が4人いらっしゃいました。ティータイムの最中でしたが、先生からご紹介いただき、「よろしくお願いします」とあいさつしても誰一人、返事がかえってこない。
そこで先生が、「今日お迎えに行かせていただいたら、天理教と書いてあったけど、天理教ってどういう宗教?」と聞いてくださいました。「お時間、1時間くらい頂けますか」とお断りして柏手を打ち、立教のお話を取り次いだ後、一礼して見渡すと、4人の先生方がじっと聞いてくださり、あとの方たちは「この人は何だ?」という顔をしていました。
まだデイサービスへ行くのは早いと思っていましたが、この人たちに笑顔が戻るよう、週に1日だけでも陽気に喜んでもらうのが私のおたすけなんだと思ったとき、神様は90歳を過ぎた私にも、まだまだできることがあると御用をお与えくださったのだと、心から喜びが湧いてきました。
以来、部屋に入るときは「おはよう」と大きな声をかけるようにしました。最初は一人も返事がかえってきませんでしたが、一人また一人と返事が聞こえてくるようになりました。
あるとき、利用者の方が「熱があるからお風呂はやめる」と申し出ていました。頭も痛いと言われるので、「実は私は神様から、人さまが病気のとき拝ませていただくお宝を頂いているのよ。よかったら拝ませてもらいましょうか」と。すると「なんだか分からんけれど、この熱が下がるなら拝んでください」と言われるので、おぢばの方角へ向かってお願いし、おさづけを取り次がせていただきました。
30分ほどすると「気分が良くなったので起きます」と言われ、戻ってきた先生も、ほかの方もびっくりして、「もう良くなったの」と。それぞれ不思議そうな顔をしているので、おさづけを取り次いだことを説明すると、二人の先生が何度もお礼を言われました。お礼はいいから、おさづけの理を少しでも分かっていただいたらありがたいんだけれど、一朝一夕にはいかないもの。でも、本人は喜んでくれ、先生も「不思議だね」と言ってくださいました。
また別のある日、隣で食事をしていた方が突然、喉に何かを詰まらせて苦しみだしました。二人の先生がびっくりして、私も加わって背中をたたいても治まらない。先生は「誰か!」と言って飛んでいきました。
このときも、おさづけを取り次ぎ、「親神様・教祖、ありがとうございました」と二拍手を終えたとき、親指より少し大きい鶏の唐揚げが口からポロっと落ちました。戻ってきた先生がそれを見て、「ああ良かった。出たんだね」と胸を撫でおろしたとき、本人が「永井さんに拝んでもらったら鶏肉が飛び出てきて、なんとも言えん不思議な気持ちだった。命拾いしました」と何度もお礼を言うので、「もうお礼は十分よ」と、手を取り合って喜ばせていただきました。
デイサービスに来る人の中で、高齢の一人暮らしが半分、嫁さんと合わない人が3人。その方々の愚痴も聞いて、嫁さんの良いところも聞き出し、それだけでも喜ばせてもらうようにとお話しすると、その方の口から嫁さんをほめる言葉が出てくるようになり、和気あいあいになってきました。その方々に喜んでいただけるよう、私も教祖の道を思い起こし、毎日を陽気に通っています。
とにかく週に1日のデイサービスですが、これが私の陽気ぐらしです。
(要旨)