密着リポート – 専修科生の求道の日々
おぢばで伏せ込む若者たち
親里で学ぶ若者たちは、勉学の傍ら、ひのきしんに勤しんでいる。なかでも天理教校の学生たちは、「求道と伏せ込み」をモットーに、教理を学びながら、おぢばの御用にも汗を流す。コロナ禍のさなか、彼らは伏せ込む日々の中でどんな気づきを得ているのか――。編集部取材班は、同校専修科生の若者4人に密着した。(「密着リポート」取材班)
専修科では、おつとめと基本教理を修得するとともに、ぢばへの伏せ込みを通じて、神一条の信仰信念を培う。また、「養心会」と銘打った活動では、雅楽、縦の伝道など七つの班に分かれて、教会活動に役立つことにも取り組んでいる。現在、教会長子弟のほか、信仰初代、海外出身者など、さまざまな立場の107人が、所属の詰所に寄宿しながら勉学に励んでいる。
例年、7月中旬の親里は「こどもおぢばがえり」の準備で慌ただしいが、コロナ禍の影響で中止を余儀なくされた昨年と今年は様子が異なり、専修科生も課外活動である「養心会」の活動や、親里各所でひのきしんに勤しんでいる。
おつとめに心を込め
午前7時、おやさとやかた東右第1棟講堂での朝礼の時間。真剣な表情でてをどりまなびを勤めるのは、1年生の谷瀬真代さん(19歳・熊野瀬分教会ようぼく)。
ようぼく家庭に生まれ、高校まで地元・和歌山で過ごした谷瀬さんは、今年4月、所属教会長の勧めで専修科へ。この7月で4カ月が経つなか、おつとめについての意識に変化があったという。
きっかけは「これは、理の歌や。理に合わせて踊るのやで。ただ踊るのではない、理を振るのや」(『稿本天理教教祖伝』第五章「たすけづとめ」)とのお言葉を講義で聞いたことにある。
「これまでおつとめを何度も勤めてきたが、教理を本格的に学ぶ機会が少なく、『理を振る』ということを意識したことはなかった」
以後、放課後に自主的に行われているおてふり練習に積極的に参加するように。これは、専修科で伝統的に続けられているもの。上級生によるお手直しを受けながら、地歌や手振りの意味を掘り下げている。
谷瀬さんは「専修科での学びは、今後の信仰生活のうえに役立つことばかり。これからも勇んで取り組みたい」と笑顔で話す。
「何事にも素直な心で」
梅雨明けを迎え、日中は強い日差しが照りつける。1年生の堀一輝さん(18歳・中河大教会ようぼく)は、神苑で草抜きのひのきしんに黙々と汗を流す。
高校3年の夏、大学進学を考えた。母親に相談したところ、目的意識がないまま大学受験をすることに強く反対された。このとき、専修科への進学が頭に浮かんだ。
女手一つで育ててくれた母親は専修科のOGで、「専修科の生活は、とても充実していた」と聞かされてきた。また、天理高校時代に、兄のように慕っていた寮幹事も専修科の出身だった。
尊敬する二人の背中を追うように専修科へ進んだ堀さん。しかし、日中はもとより、詰所に戻ってからもひのきしんをする生活に疲れを感じ、心を倒しそうになった。そのとき、先輩が声をかけてくれた。
「日々、体を自由に使わせてもらっている親神様への感謝の心で、ひのきしんをさせてもらおう」。堀さんはハッとした。慌ただしい生活の中で、ただ、ひのきしんの時間をこなしているにすぎなかった自身の通り方を省みた。その後、「かしもの・かりものの理」を意識するうちに、「何事にも素直な心で取り組むことが大切」と気づいた。
「養心会」の活動では、少年会活動に役立つ知識を学んでいる。「いつも感謝の心を忘れず、素直に道を求めることができる人になれたら」と、堀さんは笑顔で語った。
人のために動くこと
信仰初代の松本貴滉さん(2年・25歳・朝豊松分教会ようぼく)は、専修科生のまとめ役である養心会委員会の一員を務めている。元気がない仲間に声をかけることを意識しており、「教えを素直に実践する仲間を見習って、まねのできるところを探している」と話す。
難関大学へ通い、一時は社会での成功を夢見た。しかし2年前に事情が重なり、大学を中退。心を倒し、自ら命を絶とうとするほど精神的に追い込まれた。
そんなある日、男性布教師に声をかけられ、教会とつながる。教会長の勧めで修養科を志願し、大教会での青年づとめを経て、昨年4月、専修科の門を叩いた。
しかし入学後、先輩との意見の食い違いからトラブルを起こした。そのとき、所属教会の教会長から「こうまん」の心づかいを注意された。そこで、まずは自身の行動を変えた。仲間の姿を参考に、ハキハキとしたあいさつ、本部神殿のトイレ掃除など、自分にできることから始め、心を低くして通るよう努めた。
こうしたなか、今年度は委員会のメンバーに指名された。クラスでも組係として仲間のことを第一に考えて行動するうちに、自らの考え方が自然と変化していった。
「専修科での生活を通じて、人のことを考え、人のために動くことが、ようぼくの通り方なんだと学ぶことができた。おかげで、これまで感じたことのない充実感を味わっている。これからも教えを学び、どんなときも人のために動ける人になりたい」
かりものの体を存分に
「養心会」の福祉研究班に所属するダ・シルバ・ファリアス・シモニさん(2年・24歳・マナウス教会ようぼく)は、資料を手に発表に臨む。テーマは「身体障害者と仕事」。「専修科に来て、自分が不自由だと感じていた体にも親神様の思召が込められていることを学んだ」と言うシモニさんは、自身の経験をもとに研究成果を発表した。
ブラジル出身のシモニさんは信仰初代。6年前、街中でにをいを掛けられ、教会に住み込んだ。当時から腰の身上を抱えていたため、おさづけの取り次ぎを受けながら3年間、教会生活を送った。
3年前、前会長の勧めで来日し、大教会での住み込みを経て、天理教語学院へ。教えを深く学びたいとの思いを強くし、専修科へ進んだ。
ところが昨年10月、腰の身上が悪化。ひのきしんはもとより、講義にも出られなくなった。仲間からおさづけの取り次ぎを受け、励ましの言葉をかけられたものの、みんなと同じ生活が送れないことに不安を感じ、自らを責めた。
その後、手術を受けたシモニさんは、普通の生活が送れるまでに回復。再び仲間と一緒にひのきしんができるようになり、「体は自分のものではなく、親神様のお働きのおかげで思い通りに動かせるということを、身をもって味わわせていただいた」。そう気づいたとき、以前はひのきしんの時間も、作業をこなすことしか考えていなかったことを反省した。いまは、体を動かせることへの喜びを感じながら、勇んでひのきしんに取り組んでいる。
「おぢばに帰って、親神様・教祖の存在をより身近に感じられようになった。親神様からお借りしているこの体を存分に生かし、ブラジルに戻ってからも、おたすけを実践していきたい」
専修科生の生活や伏せ込みの様子を、下記URLから見ることができます。
https://doyusha.jp/jiho-plus/redirect/redirect-241/