立教184年秋季大祭 – こんな時だからこそ勇んでたすけ一条へ
既報の通り、立教184年「秋季大祭」は10月26日、中山大亮様を祭主に執行された。おつとめの後、宮森与一郎・内統領が神殿講話に立ち、教祖のひながたの道を振り返ったうえで、コロナの時代を生きる信仰者の心の置きどころについて語った。
宮森内統領は冒頭、新型コロナウイルスが蔓延する中で、今年は小さいながらも家族で「おぢば帰り」や「ひのきしん」という新たな芽生えがあった気がするとして、「この芽生えを大切にしていきたい」と話した。
続いて、ひながたの道は「終始一貫、私たちの心定めを急き込まれた道であったのではないか」と指摘。心定めの内容は皆それぞれに違っても、「事あるごとに、節あるごとに、それぞれが自分で何かの決心をしていく、これが成人していくということではないか」と語った。
つとめ場所の普請を台に
この後、つとめ場所の普請の史実を台に話を進めた。
その中で、飯降伊蔵が社の献納を申し出た際、教祖が「社はいらぬ。小さいものでも建てかけ」「一坪四方のもの建てるのやで、一坪四方のもの建家ではない」「つぎ足しは心次第」と仰せられたことに言及。これらのお言葉の中に大切な事柄があるとして、「信仰者としての判断の基準がどこにあるのかを忘れてはならない」「無理を重ねなければできないような大きな目標よりも、できそうなことからコツコツと積み重ねることが肝心」「大切なことは、誰かに言われたからではなく、自らつとめたい、やらしてもらいたいと願い出るところにある」と、信仰者の心の置きどころを確認した。
そのうえで「このみちハなにかむつかしめつらしい みちであるぞやたしかみていよ」(四号101)との「おふでさき」を引き、たすけ一条の道とは、なかなか容易ではないけれど、これによって珍しいご守護を頂く結構な道であるとして、「簡単ではない、むしろ難しい中を通ってみると、その先に自然と神様のご守護が分かってくる」と語った。
この後、教祖の教えが広がるにつれて、反対攻撃や官憲からの干渉圧迫が激しさを増すなか、教祖の長男・秀司様が京都の吉田神祇管領へ願い出て神祇祭祀の許可を取りつけられたのも、金剛山地福寺へ願い出て仏式教会を設立されたのも、すべては教祖の身の安全を守りたい一心、安心して教えを説くことのできる方法を講じたいとの一念であったと指摘。公認を取りつけに行かざるを得なかったのは、教祖に対する官憲の迫害があまりにも激しかった証しであるが、教祖の許されるところではなく、教祖は、ひたすら「神一条」であるべきと求められたとして、「教祖は、秀司様を台として、何を私たちに伝えようとなされたのか、いま一度、考えていただきたい」と述べた。
最後に宮森内統領は、この先どうなるのかと心配するかもしれないが、周りによくよく心を配り、身近なところからおたすけを心にかけて通れば通れるはずであると強調。いかなる節も、先人たちが教祖のひながたを頼りに通ってきたように、コロナの時代を生きる私たちも、心の持ちよう一つによってたすけの守護を頂くことができるとして、「こんな時だからこそ、たすけ一条の姿を教祖にご覧いただこう。そのための知恵を出し合って、心の向きを間違わないよう、ひながたの道を踏み外さないよう、この先の道を勇んでおたすけに歩ませていただこう」と呼びかけ、講話を締めくくった。