本部お節会の賑わいに思う – 視点
すでに「小正月」を過ぎたが、年が改まると、やはり心機一転という気持ちが湧いてくる。
今年は3年ぶりに本部「お節会」が行われた。寒空のもと、存命の教祖を慕っておぢばに帰った大勢の方々と出会い、さらに勇ませてもらった。
日本には古来、「節」という季節の変わり目に神様へ収穫を感謝する風習があり、それを「節供」と言い習わしてきた。これが「おせち」の起源であり、弥生時代まで遡るという。
奈良時代から平安時代にかけて、「節会」と称する宮中行事になり、「御節供」が振る舞われた。江戸時代には五節句が祝日になるのに伴い、大衆の民間行事として普及し、節句のうち正月料理が「おせち」として位置づけられ、現代に至るそうだ。
本教の「お節会」については、『稿本天理教教祖伝』に明治7年のお屋敷の正月の様子が記されている。
「教祖の膝下に寄り集い、元旦に供えた鏡餅のお下りを、一同打揃うて賑やかに頂く事は、既に早くから行われていたが、そのお供餅の量も次第に殖えて、明治七年には、七、八斗にも上った。この行事は、お節会と呼ばれて、後年、次第に盛んになった」
教祖に新年のごあいさつを申し上げるために帰参した人々が寄り集い、和気あいあいとお下がりの餅に舌鼓を打つ光景が目に浮かぶ。質素な振る舞いであっただろうが、人々の心は勇んでいたはずだ。
元旦祭に親神様への神饌として供えられた恵みを、帰参者がともどもに頂く――。現在も新春の親里には、「お節会」に参加する人、ひのきしんに精を出す人たちの心に、をやへの感謝の気持ちが溢れている。
親神様・教祖のお膝元で、道の子供たちが楽しく団欒する姿をご覧いただくことは大きな親孝行であり、神人和楽の貴重な機会である。それは、教会の月次祭における直会も同様であろう。教会へ足を運ぶことは、をやの慈愛のご守護を感得するためにも欠かせない信仰活動である。
(永尾)