少年よ、大志を抱け – 日本史コンシェルジュ
「Boys, be ambitious!(少年よ、大志を抱け)」の名言で知られるクラーク博士。
札幌農学校の初代教頭となった博士は、来日早々あることに悩まされていました。悩みの種は、高い資質と意欲を持って入学した学生が、夜な夜な寮で飲酒していること。当時は未成年者の飲酒を禁ずる法律はなかったので、学生の飲酒は違法ではありません。ただ限度を超えた飲酒が学生の健康や勉学に支障を来すことを、博士は憂えたのです。
決意を固めた博士は、学生を集めてワインの瓶を割り始めました。それは、飲料水の事情が悪い札幌で暮らすため、博士が母国アメリカから持ち込んだ大切なワインでした。「学生に禁酒を勧めるならまずは自分から」と考えた博士は、自ら酒を断ち禁酒誓約書に署名したうえで、学生に禁酒を呼びかけたのです。博士に心を揺さぶられた若者は、みな即座に署名しました。そして彼らのほとんどが卒業後も一生禁酒を貫いたそうです。
実は学生が博士に信頼を寄せたきっかけは、開校式に遡ります。
「本校の学生諸君は紳士である。自らを律する者に規則は不要である。これより一切の規則を廃止し、ただ一つの校則を定める。Be gentlemen!(紳士たれ)」。この博士の演説に、誰もが胸を熱くしました。
自由・独立・人間尊重に根ざした博士の人生哲学は、学生の意識の底に眠る武士道精神を呼び覚まし、凛とした独特な校風を育てました。博士の帰国後も、その校風を受け継いだ札幌農学校からは、『武士道』を著した新渡戸稲造、『代表的日本人』の著者・内村鑑三、土木工学の廣井勇、植物学の宮部金吾ら多彩な人材が輩出、近代日本の発展に貢献していくこととなります。
一方、帰国した博士の晩年は失意の連続でした。大学創設を目指すも、資金面で挫折。次いで鉱山経営にも失敗。その倒産をめぐる裁判にも悩まされました。博士は59歳で心臓病によりこの世を去りました。死に臨んで「天の神に報告できることが一つだけある。それは札幌における8カ月である」と語ったそうです。
クラーク博士の鮮烈な生き方と言葉は、明治の日本を支える若者たちを鼓舞し、世紀を超えて、今なお私たちに勇気と希望を与え続けています。博士が天の神にも報告したいと願った、人生で最も輝いた8カ月間は、近代日本にとって、短くても濃密な、得難い月日だったのです。
白駒妃登美
下記URLから、白駒妃登美公式YouTubeで歴史の紹介動画を見ることができます
https://youtube.com/@shirakomahitomi