「こんな教えだよ」とひと言伝えて – おやさと講演会
2025・4/9号を見る
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教会本部主催の「おやさと講演会」の2回目が3月25日、本部第2食堂で開かれた。同講演会は、帰参したようぼく・信者を迎え入れ、講演を心の糧にしてもらうことを目的とするもの。教祖140年祭へ向かう三年千日の“締めくくりの年”に、おぢば帰りを推進する一助として実施されている。当日午後5時、会場には本部月次祭前日に各地から帰参したようぼく・信者242人が参集するなか、松村登美和本部員が「たすけ一条の道を歩み、教祖にお喜び頂こう」と題して登壇。終始和やかな雰囲気で行われた講演会では、講話に熱心に耳を傾け、メモを取る帰参者の姿が見られた。ここでは、講演内容を要旨で紹介する。
講演要旨
「たすけ一条の道を歩み、教祖にお喜び頂こう」
松村登美和本部員

来年、教祖140年祭が勤められる。しかし、ただそのときに年祭に参拝して終わりということではなく、年祭に向けて少しでも成人した姿を教祖にご覧いただき、お喜びいただこうというのが年祭活動である。そして、年祭まで残り10カ月を通るに当たって、教祖が現身をおかくしになったとき、どういう思いを持っていらっしゃったのかということを振り返ることが大切だと思う。
教祖は「月日のやしろ」となられてから、困っている人に物を施すことを始められた。また、「をびや許し」をはじめ、さまざまな不思議なご守護をお見せくださり、多くの人をたすけてくださると同時に、おつとめを教えてくださった。
その後、明治20年陰暦正月二十六日、教祖は25年先の命を縮めて現身をおかくしになり、いま私たちが頂いているおさづけの理を頂戴できるようになった。
「諭達第四号」に示される「教祖の親心」というのは、子供可愛いから25年先の定命を縮めた御心や、何はばかることなくおつとめが勤められるように現身をかくされた御心、多くのようぼくが生まれ、おさづけの取り次ぎを通じて、世界に教えを広められるようにしてくださった御心など、明治20年におかけくだされた一連の親心なのではないか。そして、その御心に応え、実行していく、つまり、たすけ一条の道を歩むことが、教祖に一番お喜びいただけることだと思う。
信仰的に成長する
成人とは、信仰的に成長することだ。教祖に喜んでいただこうと思ったら、これまでできていなかった新たなことに挑戦することが必要であり、そこに初めて成人というものがある。
また、おさづけの理は、親神様が入り込んで、医者が投げ出すような難しい病気でもたすけてくださるものであり、明治20年に教祖が、「やりたいものもあった」と渡されたものであるから、それを取り次がせていただくことが、教祖の親心にお応えすることになる。このことを心に治め直し、教祖がお喜びくださるおたすけに取り組み、成人させてもらう。その姿を来年1月26日に教祖にご覧いただくことを、お互い心に誓いたい。
教会で心が洗われ
たすけ一条の道を歩むうえで、もう一つ大切なことは教会へ足を運ぶことだ。
6年前、私どもの教会に古くからつながる信者Aさんが99歳で出直された。Aさんは50歳を過ぎたころから家族と共に教会に住み込み、長年にわたり教会を支えてくださった。年を召されて教会を離れて暮らすようになってからも、月次祭には必ず参拝していた。
Aさんの葬儀の際、参列した多くの信者が「Aさんに励ましてもらった」「たすけられた」と口々に語っていた。Aさんは生前「私も昔は癖が強かった。教会は有り難い」と話していた。Aさんは教会とつながる生活の中で、同世代や20歳上の信者に話を聞いてもらい、心が洗われていったようだった。
われわれようぼくがおたすけに掛かる際、おさづけの取り次ぎとおつとめを勤めることが第一にある。また、他者への思いやりを欠いた自己主張や刹那的な行動をする、あるいは闇路をさまよう人にたすかってもらう入り口が教会にある。
身の周りを見渡して、そのような人がいれば「天理教は、こんな教えだよ」とひと言伝えていくなど、いままで自分がやっていなかったことを何か一つ決め、残り10カ月の年祭活動に勇んで取りかかりたい。