天理時報2022年1月26日号6面
修養科の四季教祖に導かれてて人をたすける心〟にに第958期中原広世さん22歳福岡県古賀市・西海ブラジル教会所属教会長子弟として生まれ育ち、天理教校学園高校卒業後は少年会本部で勤務しました。勤務を始めて3年目のとき、交際していた日系ブラジル人男性との結婚を考えるようになりました。しかし、おぢばから遠く離れたブラジルへ移住することへの不安などから、結婚に踏みきれずにいました。そんなとき、両親が「起きてきた出来事は、すべて親神様の思召で教祖のお導きだから、心配せずにしっかり汚れて通りなさい」と諭してくれました。両親の言葉に背中を押され、結婚を決意するとともに、あらためて教理を学ばせていただこうと修養科を志願しました。初めて神殿を案内して修養生活がスタートし、和気あいあいとした日々を過ごすなか、授業の合間や昼食後などの時間に、何人かのクラスメートが身上を抱える仲間におさづけを取り次ぐようになりました。身上のたすかりを願う仲間姿に感銘を受ける一方で、「私もおたすけをさせてもらわなければ」と思ったのです。ところが、そこにどこか義務感のようなものがあることに気づき、思い悩むようになりました。そんななか、2週間が経ったころ、授業後のねりあいの時間に「人をたすける心が、どういうことなのか分からずに悩んでいる」と、思いきって打ち明けました。すると、仲間たちが私の話に真剣に耳を傾けてくれて、心が楽になりました。また、担任の先生が「勇気を出して形から始めてみることも大切」と教えてくださったことをきっかけに、「話を聞くなど、小さなことからでも自分にできることを実践してみよう」と思いました。こうしたなか、2ヵ月目の本部月次祭の日。天理本通りで、あるご夫婦から「天理教の神殿へ行くには、どうすればいいでしょうか?」と声をかけられたのです。ちょうど神殿へ向かっていたところだったので、案内しました。聞くところによると、ご主人が定年までバスの運転手をしていて、夏の「こどもおぢばがえり」の時期に、何度か天理を通ったことがあり、一度、本部神殿を訪れてみたいと思っていたそうです。やがて神苑に着くと、ご夫婦は「あなたに神殿を案内してもらいたい」と、おっしゃるのです。これまで未信仰の人を案内したことがなく、戸惑いましたが、修養科で学んだ基本的な知識を思い出しながら、親神様・教祖、かんろだいなどについて、私なりに精いっぱい説明させていただきました。ご夫婦は終始感心した様子で、私の話を聴いてくださいました。ご夫婦と別れた後、人の役に立てたことに大きな喜びを感じ、晴れやかな気持ちになりました。そして「『私にできるおたすけがあれば』と思っていたさなか、困っている人に手を差し伸べられるようにと、教祖が導いてくださったのでは」と思い至り、親神様の深い親心を感じて、お礼を申し上げながら月次祭に参拝させていただきました。この出来事があってから、それまで以上に人の役に立つことを意識しながら修養生活を過ごしました。教祖のお導きのままに〝人をたすける心〟を育んでいただいた3カ月でした。修了後、教人資格講習会を経て、昨年10月に結婚。にはブラジルへ渡り、主人の実家の教会で住み込ませていただく予定です。言葉や文化の異なる地での生活になりますが、これからも変わらず、自分にできるおたすけを実践して、世界にお道の信仰を広めていきたいと思います。午前の授業が終わり、託児所へ子供を迎えに来た修養科生日本史コンシェルジュ歴女〟がご案内いたします白駒妃登美ShirakomaHitomi歴史を拓いた大隈侯のひらめき早稲田大学の創立者であり、政治家としても日本初の政党内閣を誕生させ、総理大臣を二度務めるという華々しい実績持ちながら、大らかで天真爛漫・仕格が民衆に愛されたと伝わる、大隈重伝実は彼には、意外に知られていない功績が存在するのです。その一つが、日本の通貨単位「円」の制定です。それまで四角形だった硬貨を円形にし、さらに4進法から10進法に変えるなど、貨幣制度を世界水準にしました。そして、暦も旧暦を改め、太陽暦を導入しました。通貨も暦も、明治政府が行った現代につながる重要な改革ですが、それらを中心となって推進したのが大隈でした。そしてもう一つ、見逃せない功績があります。文明開化の象徴の一つに、新橋-横浜間の鉄道の開通が挙げられますが、その鉄道事業を提案し、最高責任者を務めたのが大隈でした。人力車や飛脚など、人のチカラで人や物を運んでいた時代に、全国に鉄道を通してもっと便利な社会を築こうとした大隈の構想力は、素晴らしいですし、明治維新からわずか4年で鉄道の開通にこぎつけたのは、明治日本の快挙と言えるでしょう。しかし、この鉄道事業は、一筋縄ではいきませんでした。鉄道の通り道である高輪に軍用地があったのですが、この土地の提供を軍部が拒んだからです。ここで、大隈の発想力が際立ちます。当時は列車のことを「陸蒸気」と呼んでいましたが、陸を走るから「陸蒸気」なのに、大隈はその陸蒸気を海に通すことを決断しました。そして、田町~品川間の海上に全長2.7㌔の堤防を築き、その上に線路を通したのです。よくぞそんな方法を考え出したと驚くほかありませんが、大隈の故郷・佐賀には有明海があり、その干拓の歴史は古いので、もしかしたら干拓により海を陸に変えた故郷の風景が、大隈のひらめきにつながったのかもしれません。現在、JR東日本は品川開発プロジェクトを進めていますが、その計画エリア内から、大隈が主導した堤防の一部が出土。日本の近代化土木の歴史や技術を伝える、貴重な遺構として注目を集めています。今年は大隈重信の没後10年という節目の年。時代の変革期を迎え、大隈の発想力や行動力から多くのヒントを学べそうですね。