天理時報2021年12月15日号2面
一れつきょうだいのたすかり祈念新型コロナ終息のお願いづとめ教会本部は1日、本部神殿でお願いづとめを勤めた。このお願いづとめは、新型コロナウイルス感染拡大の終息と罹患者の平癒をあらためて願うとともに、お互いの心を一つに合わせてご守護を願う意味を確認するもの。今年4月以降、毎月1日正午から本部神殿で勤められていev当日、感染拡大を防止する対策として殿内の参拝者を制限するとともに、南礼拝場前にパイプいすが設置された。正午、中山大亮様は、中田善亮・表統領と共に神殿上段へ参進。大亮様が拍子木を、中田表統領が数取りを務めて、お願いづとめが勤められた。おつとめに先立ち、中田表統領があいさつした。中田表統領は、親神様の毎日変わらないご守護は、誰にとっても生きるためになくてはならない与えであると指摘。そのうえで、私たちは朝夕にお礼やお願い、お詫びを申し上げ、特に具体的なご守護を願うときには心定めをして願うものであると述べて、親神様への信仰者の心の向け方について語った。続いて、いまだ世界で猛威を振るう新型コロナウイルスの現状を踏まえ、「この節をわが事と捉えるならば、お礼とお願いだけでなく、お詫びも、また具体的な心定めをしっかり思案して、それをお受け取りいただけるように申し上げることが必要」と述べた。最後に中田表統領は、コロナ禍について、現在の日本では一定の収まりのご守護をお見せいただいている一方、世界では今まさに爆発的な感染が広がっている地域もあるとして、「自分たちの収まりを喜ぶだけではなく、一れつきょうだいのたすかりも、心を揃えて願っていきたい」と話した。なお、このお願いづとめは、来年1月以降も原則、毎月1日正午から本部神殿で勤められる。ただし、1月は5日正午から勤められる。新型コロナウイルス感染拡大の終息を祈念し、本部神殿でお願いづとめが勤められた(1日)寄り添うことを第一歩に「ひきこもり」「うつ」を考える集い「天理ファミリーネットワーク(TFN)」は11月26日午後、今年3回目となる「『ひきこもり』『うつ』を考える集い」をオンラインで開催。ひきこもりやうつを抱える当事者の家族や、おたすけに携わる人など25人が参加した。この集いは、講義や交流会を通じて、お道を信仰する者同士で学び、支え合うことを目的に実施されているもの。前回に続き、今回もオンライン形式で行われた。当日、早樫一男・TFN代表(彌榮分教会彌生布教所長)のあいさつに続いて、公認心理師の末代咲恵氏(天勇分教会ようぼく)が、「精神保健福祉センターの役割と相談窓口から学ぶこと」をテーマに講演した。末代氏は冒頭、自身が勤務する精神保健福祉センターでの業務内容を説明したうえで、ひきこもりの当事者やその家族との向き合い方について話を進めた。その中で、当事者は孤独を感じると同時に、人と関わりを持つことに緊張や恐怖を感じることが多いと指摘。軽い事務作業や畑作業などを共に行うことで、当事者が自発的に交流を持つようになるとして、ひきこもり支援の進め方について詳しく説明した。また、「当事者の年齢や性別、心理状態に応じて、段階的な支援も必要になる」と前置きしたうえで、「どんな意思も尊重し、当事者にとって安心・安全な場を提供することが「重要」と語った。最後に末代氏は、当事者の相談を受けるときや支援するときには、目先の着地点を見つけようとするのではなく、まずはその人に寄り添うことが第一歩になると強調。「答えがあいまい見えない曖昧な時間を一緒に歩んでいくことが大切」と述べて、講演を締めくくった。◇講演後には、チャット機能を用いた質疑応答の時間が持たれ、参加者の悩みや質問に、末代氏がアドバイスした。公認心理師の末代咲恵氏が、精神保健福祉センターでの活動を紹介した(11月26日午後)おやのこころおやのことば信心は、末代にかけて続けるのやで。『稿本天理教教祖伝逸話篇』44「末代にかけて」NHK朝の連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」が静かなブームです。昭和から令和までの時代、ラジオ英語講座とともに生きた3世代のヒロインの物語ですが、特に先月下旬に放送された戦中から終戦にかけてのくだりは、涙なしには見られませんでした。敗戦が色濃くなるなか、ヒロイン・安子の周りの男たちに次々と召集令状が届き、出征していきます。実兄も、家業の和菓子屋の職人たちも。ついには学徒動員で出征する直前に夫婦となった大学生の夫までもが。その背中を見送る安子や家族の姿が、あまりにも悲しくて切なくて……。そのシーンに、10月末、享年90歳で出直した父の姿が重なりました。安子と同じ大正14年生まれの父は、天理外国語学校(当時)在学中に学徒動員で出征。満州で終戦を迎えるも、シベリアへ連行され、極寒の地の炭鉱で強制労働に従事します。戦友たちが病や事故で次々に亡くなるなか、数々の不思議を見せられて、3年後、無事に復員を果たしました。そして、こう悟ったのです。「初代からの信仰のおかげでたすけられた――――」もし父が、安子の夫のように彼の地で命を落としていたら、私たち子供はもとより、孫や曾孫も、この世に存在しなかった。所属教会の理の栄えもなかった。そう思うと、初代から始まり、3代の父を経て私たちに受け継がれたこの信仰を、子供、孫、曽孫、さらには末代へ伝えていかなければならない。父の出直しに際して、その思いをより強くしました。