天理時報2021年12月1日号6面
ハートフルエピソードまんまる絵・なんばなつこ夕日を拝むタツさんは膝の手術のため入院しているしっかり者だが耳が遠いので話の輪に入りにくいだろうと同室の皆はよく気にかけていたタツさん、夕日キレイよまァ、すばらしいありがとうございます…..杖をついて歩けるようになったある日タツさん!!!夕日が見えたよ真剣に夕日を拝むタツさんの姿は神々えたタツさん枚.ありがとうございます歩けるように四コマ漫画のもとになった『お道の人のちょっといい話<第2集〉』は、右記QRコードから読むことができます。読者のひろば未信仰ながら時報を読んで伊藤壽子(73歳・京都府京丹波町)未信仰ながら、『天理時報』を毎週楽しく読ませていただいています。6年前のある日、付き合いのあった近所に住む天理教の女性信者から時報を薦められました。もともと読書好きだったこともあり、興味本位で1部譲っていただきました。以来、彼女は毎週、家に送り届けてくださるようになり、私はいつしか時報の発行を楽しみに待つようになりました。最近、特に興味深く読んでいるのが、伊橋幸江氏による特別企画「信心への扉――おやさまに導かれた女性」です。幕末、明治という激動の時代のなか、教祖一途に慕って通った女性たち。いずれも、その人柄は温かく、誠実で、物腰は柔らかい。そうした素敵な女性の姿に学び、信仰をむ。読み物として、とても面白いと思います。また時報には、読者を温かい気持ちにさせるものが込められているように感じます。たとえば、「人生相談」のコーナーでは、回答者は質問者の意向をいったん受けとめたうえで、「それは大変でしたご苦労さまでした」という労いの言葉を欠かしません。悩みや不安に真摯に向き合い、共感する姿勢には、「信心への扉」で取り上げられている女性たちに通ずる信仰が現代に息づいているように感じます。時報は、いつも私に新たな視点や気づきを与えてくれる、大切な読み物の一つとなっています。これからも毎週楽しみにしています。友人夫婦の姿に思い新たに石井秀政(34歳・福岡県久留米市)教会長の後継者である私は、教会の御用をつとめながら、毎日のように戸別訪問や神名流しを続けている。信仰初代である高祖母は、がんの身上をたすけていただいたのを機に入信した。そのご恩に報いるためにも、と歩いているが、うまくいかないことも多く、断られたり、られたりすることもしょっちゅうだ。そんななか、京都に住む友人から、未信仰の妻が初席を運ぶことになったと連絡があった。仕事が忙しく、なかな話を切り出す機会がないと聞いていたので、以前から私も「良い巡り合わせがありますように」と、神様にお願いしていた。きっかけは、コロナ下でお互い家にいる時間が増えたことだったらしい。彼は、妻がお道に興味を持ってくれたことをうれしそうに話した。昨年12月、夫婦そろっておぢばへ帰り、奥さんは無事に初席を運んだ。その日、同行させてもらった私は、二人の姿を前にして、「にちくに心つくしたものだねを神がたしかにうけとりている」(おふでさき号外)の一節が心に浮かんだ。日々積み重ねたつとめが無駄になることはない。たとえ、そのときはうまくいかなかったとしても、神様がその心を受け取ってくださり、ここぞというときにお働きくださるのだと実感した。いまだコロナの影響は続いているが、これからも歩みを止めることなく、いまだからこそできることを模索しながら、一層にをいがけに努めていきたい。よろずの美の葉作家澤田瞳子SawadaToko愛おしくも哀しい月1年の中でいつが好きかと問われると、必ず11月と答える。寒さにも暑さにも弱い私からすると、11月はもっとも過ごしやすい季節。加えてこの時期は鮭や秋刀魚、栗に茸と美味しいものが勢ぞろい。紅葉に加え、初冬独特の澄んだ空気も嬉しく、お気に入りの上着を羽織ってどこかに行きたくなる。しかし、である。我々物書きにとって、11月は年末締め切りラッシュの第1波到来期。本来なら来月でいい締め切りが前倒しされ、師走の足音におののき始めるのもこの月だ。おかげで好きだと公言しているにもかかわらず、わたしにとって11月は愛でる暇もなく凄まじい速度で過ぎ去ってしまう愛おしくも哀しい月である。今年もその例に漏れず、あれれれと思っている間に月末になり、すぐそこで師走がにやりと笑って待ち構えている。そんな私を気の毒に思ったのか、先日、中部地方在住の友人が地元の名産・栗きんとんを送ってくれた。錦繍の山々を思いながら、一日二つまでと決めて大切にいただいたが、実は栗は団栗や胡桃などと並んで、縄文時代から食べられてきた植物。現存する最古の日本の歴史書『古事記』には、3世紀から4世紀ごろに生きた第15代天皇・応神天皇が、現在の奈良県吉町界隈に住んでいた人々から栗や鮎などの名産品を献上された―という記録が見える。また日本史上3人目の女帝である持統天皇「五穀ばかりを作らず、桑紵・梨・栗・蕪菁などの草木を植えるように」との命令を全国に発布しており、栗が人々にとって親しみ深い食糧だったと分かる。持統天皇の異母妹・元明天皇が諸国に編纂させた「風土記」には栗に関する記述が多く、特に現在の兵庫県の地名や産物について記した『播磨国風土記』には、ある人物が天皇から賜った栗を植えたところ、そこから渋皮のない栗が生えたので、地名を「栗栖」と付けたとの逸話が収録されている。調理経験のある方はお分かりだろうが、栗を食べるためには、硬い鬼皮と、ぺったりと身に張り付いた渋皮を丁寧に剥く必要がある。毎秋、栗ご飯のために生栗を買う私からすると、栗栖の栗の使いやすさが羨ましくてならないし、『播磨国風土記』の記録者もまた、「なんて便利な栗だ!」と思えばこそ、この逸話を収録したのだろう。ただ、負け惜しみではないが、一方で手間がかかればかかるほど、短い秋が愛おしいのもまた事実。もはや残りわずかとなった秋を楽しむために、さて最後の栗を買いに行こう。