天理時報2021年11月17日号2面
今こそおぢばにひと粒の種を新型コロナの終息のお願いづとめ教会本部は1日、本部神殿でお願いづとめを勤めた。このお願いづとめは、新型コナウイルス感染拡大の終息と罹患者の平癒をあらためて願うとともに、お互いの心を一つに合わせてご守護を願う意味を確認するもの。今年4月から、毎月1日正午に本部神殿で勤められている。当日、感染拡大を防止する対策として殿内の参拝者を制限するとともに、南礼拝場前にパプいすが設置された。定刻正午、中山大亮様は、宮森与一郎・内統領と共に神殿上段へ参進。大亮様が拍子木を、宮森内統領が数取りを務めて、お願いづとめが勤められた。おつとめに先立ち、宮森内統領があいさつを行った。宮森内統領は、コロナの蔓延で対面によるコミュニケーションが難しくなったことを踏まえ、「私たちのおたすけは、相手の事情や身上の苦しみを肌で感じ、言葉で癒やし、寄り添い、おさづけを取り次ぐ。優しい声をかけて人を勇ませることから、おたすけは始まる」と強調。「独り成りて来ると言えば、放って置いてもと言う。そうではな一度の声、二度の声、三度声、これ集まれば成って来る。一度一寸始め。一寸声。これだけ話して置こう」(明治26年9月2日)との「おさしづ」を引き、電話やメール、リモートを駆使して気持ちを伝えたいと努めることは素晴らしく、活用していきたいと述べたうえで、「でも、直接の声かけは全く空気が違うような気がする」として、「コロナで断ち切られた人と人との関係を、なんとか修理・修復していきたい」と語った。続いて「一粒の種を埋る。を蒔いたるその方と言うてある。種を蒔いたで、修理一つの理出来た。種を蒔いて修理思やん」(明治3年5月10日)との「おさしづ」を引いたうえで、声をかける、にをいを掛けることができる姿に修復・修理していくためには、種を埋める必要があると指摘。今こそ一本の草引き、少しの回廊拭きからでも、ひと粒の種をおぢばに埋っておこうと一同に呼びかけるとともに、「この種が必ずこの先、花が咲き、実の成る姿になるはずである。人と人との関係を修復してくれるはずである」と話した。新型コロナウイルス感染拡大の終息を祈念し、本部神殿でお願いづとめが勤められた(1日)オンラインで婚活支援「縁むす」スタート「一般社団法人天理婚活サポート」ようぼく対象のオンライン婚活サイト「縁むす」が1日、開設された。これは、各教区の教会長やようぼく有志によって立ち上げられた「一般社団法人天理婚活サポート」(宮内泰夫代表)が管理・運営するもの。教内における未婚に悩む人、また、ようぼく同士の結婚を望む人への婚活サポートが求められる現状を踏まえ、本部布教部の後援のもと、お道の婚活をオンラインで支援することを目的としている。3年前、教区長委員会(中森昌昭委員長)の呼びかけにより、各教区の婚活責任者および担当者が集まる「婚活を考える小委員会」が発足。以来、それぞれの地域の婚活の取り組みについて情報交換することで、1組でも多くのカップル成婚へ導くことを目的に、定期的に懇談会が開かれてきた。昨年春ごろには、各教区での婚活パーティーなどが企画されたが、コロナ禍の影響で中止を余儀なくされた。こうしたなか、小委員会では、すでにお道の信仰者に限定したオンラインでの婚活支援に着手していた教友有志と連携し、オンライン婚活の全国展開を計画。「一般社団法人天理婚活サポート」として行政の認可を得て、オンライン婚活サイト「縁むす」の運営をスタートさせた。宮内代表(63歳東京教区長)は「お道の中に結婚ブームが起こり、共に陽気ぐらしへと歩む夫婦が増えて、各地の教会が明るく元気になっていけば、お道のうえに大きな力になると思う。今後こうした支援を活発に行っていくことが、丹精を進めさせていただく一つの機会になれば」と話した。右記QRコードから「縁むす」のホームページにアクセスできる。おやのこころおやのことば神の話は見えん先に言うのが神の話や、をやの話や。さあ/\この話の理を忘れんよう。「おさしづ」明治21年8月9日先日、東日本大震災から10年ぶりに宮城県の気仙沼を訪れ、当時のさまざまなことが蘇りました。震災直後の市街地は夜になると本当に真っ暗で、町が消えた跡の深い闇に立ちつくしたことも思い出しました。当時、壊滅的な被害のあった小さな漁村で、偶然に出会ったお婆さんが「この村で津波で死んだ者は一人もおらん」と言われました。子供のころに「津波が起きたら命てんでんこだ」と教えられたそうです。「命てんでんこ」とは、津波被害が多い三陸地方の言い伝えで「津波が起きたら家族が一緒にいなくても気にせず、てんでばらばらに高所に逃げ、まずは自分の命を守れ」という意味だそうです。お婆さんは「80年生きてきて、(この村では)そんなことは一度もなかった。けれど、今度は皆それを守ってたすかった」と、凪いだ海を見ながら話してくださいました。私たちの信仰にも、こういうことがあると思います。子供のころから教えを聞かせていただいてきて、50年60年、命にかかわるようなことは一度もなかった、と思っていても、明日がその日であるかもしれないのです。「うるさいと思うても、聞いておけ。聞いたことは、まさかの時に思い出すこともある。聞いてないことを思い出すことはない」と、若いころに親からよく言われました。そのとき納得できても、できなくても、聞かせておくことが大切ということでしょう。