天理時報2021年9月19日号2面
おたすけの実践でご守護という実を新型コロナの終息のお願いづとめ教会本部は1日、本部神殿でお願いづとめを勤めた。このお願いづとめは、新型コロナウイルス感染拡大の終息と罹患者の平癒をあらためて願うとともに、お互いの心を一つに合わせてご守護を願う意味を確認するもの。今年4月から、毎月1日正午に本部神殿で勤められている。当日、感染拡大を防止する対策として殿内の参拝者を制限するとともに、南礼拝場前にパイプいすが設置された。正午、中山大亮様は、中田善亮・表統領と共に神殿上段へ参進。大亮様が拍子木を、中田表統領が数取りを務めて、お願いづとめが勤められた。おつとめに先立ち、中田表統領があいさつを行った。中田表統領は、国内において新型コナウイルスの感染拡大が止まらない現状を踏まえ、この事情の治まりを願う意味をよく思案して、お願いづとめを勤めることはもとより、おたすけの実践という理をもって、ご守護という実をお見せいただきたいとして、おたすけの実践の大切さをあらためて強調。そのうえで「七ツなんじふをすくひあぐれバ」「八ッやまひのねをきらふ」「九ッこゝろをさだめるやうなら」「十デところのをさまりや」(みかぐらうた二下り目)のお歌を引き、コロナ下においても、お願いとともに、おたすけの心を定めて、親神様にお誓い申し上げることが肝要であると語った。最後に中田表統領は、私たちが親神様にいくら感謝を申し上げても、ご恩報じに尽くしても、親の篤い思召は見当もつかないところにあるかもしれないと指摘。そのうえで「親神様の子供として、教祖に教えられた道筋をしっかりと歩み、届かないながらも懸命に、なんとしても親にお勇みいただけるように、心一つに勤めさせていただきたい」と述べた。新型コロナウイルス感染拡大の終息を祈念し、本部神殿でお願いづとめが勤められた(1日)『教祖物語』フィリピン語版第1巻発売道友社は先ごろ、劇画『教祖物語』のフィリピン語版『AngKuwentoniOyasama』の第1巻を発売した。劇画『教祖物語』は、教祖100年祭の翌年の1987年に第1巻が刊行され、90年刊行の第5巻をもって完結した。このうち、第3巻までは、主に教祖の道すがらが描かれ、英語、中国語、韓国語、インドネシア語、ポルトガル語、タイ語、ドイツ語、スペイン語が第3巻まで、フランス語が第2巻まで刊行されている。今回翻訳された第1巻は、教祖がお生まれになる寛政10(1798)年から、「月日のやしろ」に定まられ、貧のどん底に向かわれる元治元(1864)年までの時代を中心に描かれている。翻訳作業には、フィリピン出身の天理教語学院の卒業生や、フィリピン現地の教友が担当。翻訳は『稿本天理教教祖伝』の外国語版に準拠しており、当時の日本文化や時代背景などを視覚的・感覚的に理解できることから、教祖伝への入門書〟としての活用も期待されている。翻訳版の製本は日本語版と同じ「右開き・右綴じ」。価格は550円(税込)。お求めは、道友社おやさと書店へ。国内外で親しまれている劇画『教祖物語』のフィリピン語版が発売された本紙の発行曜日変更のお知らせ道友社は、日本郵便の土曜配達が休止されることを受けて、10月から、本紙の発行曜日を従来の日曜日から水曜日へと変更します。なお、宅配便で各拠点に届けている、手配りひのきしんへの影響はありませんので、ご了承ください。道友社おやののこころおやのことば言葉一つがよふぼくの力なら(中略)皆んそれに凭れ/\て若木が育つ。「おさしづ」明治28年10月7日先日、若い会長さんが聞かせてくれた話です。彼は毎月、大教会の神殿当番に行くときには、必ず大教会から10㌔ほど先のおぢばに参拝してから行くのですが、その日は和歌山の自宅を出ようとすると人が来たり、雑用を頼まれたりで、出るのが遅くなってしまい、おぢばに参拝してからでは時間に間に合わないだろうと直接、大教会へ向かいました。明くる日、当番を終えて、「おぢばに参拝しなかったなあ」と思いつつも予定があるので帰りを急ぎ、しばらく走ったところで赤信号で停車しました。前にはトラックが1台。そのとき、「おぢばにお参りしていない」という思いが込み上げてきて、Uターンして引き返そうと、すぐ隣の右折車線に移りました。すると、いま自分がいた場所にワンボックス車がスーッと来て止まった次の瞬間、後ろから猛スピードで走ってきたトラックがワンボックス車に追突し、前のトラックとの間に挟まれて大破したそうです。数秒前まで自分がいた場所です。幸い、大きな車で運転手は無事のようでしたが、軽自動車の自分だったらひとたまりもなかっただろうと思うと、「たすけていただいた」という実感で震える思いがしました。あんなに感激しておぢばに参拝したのは初めてです、と興奮が蘇ります。このような瑞々しいふしぎ話が若い信仰を育てるのだと常々思います。が集まると、互いに身近なふしぎ話を楽しむような教会になりたいものです。