その後、妻の腹痛や、次男の痙攣もおたすけいただいて、藤四郎さんは熱心に信心を続けました。ある年の秋、病人のおたすけを願って参拝したところ、「笠の山本さん、いつも変わらずお詣りなさるなあ。身上(病気)のところ、い案じることは要らんで」と、教祖のお言葉を頂き、帰ってみると病人はもうおたすけいただいていた、ということもありました。教祖のおそばで仕えていた鴻田忠三郎さんが、藤四郎さんの信心の堅固さに感銘し、そのことを教祖に申し上げると、「これより東、笠村の水なき里に、四方より詣り人をつける。直ぐ運べ」とのお言葉がありました。こうして藤四郎さんは、一層熱心に人だすけに奔走するようになりました。(『稿本天理教教祖伝逸話篇』六二「これより東」から)のちに、教祖のお言葉通り山深い笠の地に、遠方から険路を越えて大勢の信者が寄り集まるようになっていきました。