天理時報特別号2022年5月号2面
わたしのクローバー三濱かずゑ1975年生まれ/臨床心理士・天理ファミリーネットワーク幹事いつか笑顔で語り合える日を祈って夏には東京、冬には北京と、二つの五輪大会が続けて開催されました。過去の大会を振り返るたびに、活躍した選手の姿とともに、その時々の自分に起きた出来事が思い出されます。出産と、厳しい現実いまから22年前、レーバー冬季オリンピック期間中のある真夜中、私は三女を出産しました。いよいよ陣痛が強まり、いまにも生まれるという時になって、心拍のモニター音が突然消えました。助産師さんが急いで破水させると、血の色に染まった羊水が流れ出ました。胎盤の早期剝離でした。お腹の上から強く押されて出てきたのは、真っ赤な血にまみれた真っ白な赤ちゃんでした。一度だけ「オギャ」と泣いて、口からどっと血を吐き出し、それっきり動かなくなりました。小児科の先生方が駆けつけ、人工呼吸など蘇生処置を施してくださいました。そして裸のまま保育器に入れられ、夫に付き添われて救急車に乗り、寒空のなかを大学病院へ搬送されていきました。辺りが明るくなるころ、戻ってきた夫から医師の説明を聞きました。「血液濃度が通常の半分以下という、重度の貧血状態でした。輸血をしましたが、血液の循環がうまくいかなければ、今日か明日が峠です。もし命がたすかっても、血が巡らない間は脳も酸欠状態だったので、後遺症の出る可能性が非常に高いです。この状態から良くなったという例は、少なくとも日本ではありません」誕生を待ちわびていた、つい数時間前までは想像もしなかった、厳しい現実が静かに迫ってきました。幸いにも私の体調は良く、翌日からは夫と共に娘の面会に行けるようになりました。一日半ぶりに見たわが子は、小さな保育器の中で、たくさんの管に繋がれていましたが、体じゅうに真っ赤な血が巡っているのが分かりました。心拍数と血圧も安定し、脳へのダメージを抑えるため、頭を冷やす処置が始まっていました。こんなに大きく精密な機械でも、決して作り出せない「当たり前」の暮らし。臨床心理士として、相談の仕事で出会う親御さんたちに無意識に押しつけてきた、「わが子のありのままの姿を受け入れる」ことの難しさ。次々に押し寄せてくる灰色の「非日常」に崩れそうな心を、携帯電話の小さなワンセグテレビに繰り返し映る、浅田真央選手のトリプルアクセル成功の笑顔が、力強く励ましてくれました。