さらに教祖は、「おまえさん方は、大阪から来なさったか。珍しい神様のお引き寄せで、大阪へ大木の根を下ろして下されるのや。子供の身上(病気)は案じるこい」とはなと仰せになって、たねさんの体の治りきっていないところにお紙を貼ってくださいました。たねさんは、間もなく全快のご守護を頂きました。(『稿本天理教教祖伝逸話篇』七一「あの雨の中を」から)教祖はすべて見抜き見通しであり、おかけくださる親心に感激した梅治郎さんは、信仰の炎を燃え上がらせました。大阪に戻ると、教祖の教えを一人でも多くの人に伝えようと人だけに奔走しました。やがて、遠近から大勢の人がたすけを願いに来るようになり、翌十四年には講社の結成を願い出て、教祖から「真明組」の講名を拝戴しました。そして教祖のお言葉通り、ここからこの教えを全国に広めていったのです。