天理時報2022年11月23日号8面
【第31話 自分を生きている – ふたり】前話のあらすじ新太に取り憑いた病気が、大人たちの日常を色も音もないものにしていた。カンは、病院で人の命について考えていた。第30話 誰のものでもない命手術は成功した。いまのところ合併症と呼ばれる厄介な病気も起こっていない。このまま大きくなれば、心臓の壁に開いた穴は塞がって、新太はまた普通の子どもと同じように走ったり転んだりできるようになるだろう。早朝、カンが農場を訪れたとき、保苅青年は畑でブロッコリーを収穫していた。ナイフで生え際から切り取られた野菜には朝露がついている。収穫した作物を入れる空のコンテナをひっくり返し、二人は並んで腰を下ろした。「中学生のころから、なぜ自分が生きているのかわからなかった」。保苅青年は畑のほうへ目をやったまま、ひとりごとめいた口調で話しはじめた。「生きる意味ってなんだろう。どうして生きなければならないんだろう。理由もないのに生きているのは無駄じゃないか」しばらく言葉が途切れた。畑の向こうはクヌギやコナラの林になっている。いまごろはカブトムシやクワガタムシが樹液を吸っているだろう。ドングリが実るころ、新太は元気になっているだろうか。「別に死にたかったわけじゃない。ただ生きることには理由がないし、死ぬことにもやっぱり理由はない。生きているのも死んでいるのも同じだ。だったら死んでいるほうが、人にも自分にも迷惑をかけなくていい。そんなことを考えながら、この街にやって来た。車を停めて荒れた海を眺めていたとき、急にあたりが騒がしくなった。犬が吠え、カモメが騒ぎ立てている。車から外に出てみると、海で子どもが溺れていた」カンは何も言わずに微笑んだ。保苅青年も笑いを含んだ声でつづけた。「気がついたときには、死のうと思っていた自分が、溺れている子どもを助けようとしていた。身体が頭を裏切って、後先のことも考えず海に飛び込んでいた。いまから振り返ると、あれがきっかけだった気がする。それまでは頭のなかでしか生きていなかった。小学生のきみを助けたとき、はじめて自分を生きていると思った」雑木林の木々が色づくころには、虫たちは姿を消す。最初の北風が吹きはじめると、葉は茶色くなって地面に落ちる。降り積もった葉が、つぎの年のカブトムシやクワガタムシの幼虫を育てていく。「人は意のままに死んだり生きたりはできない。新太のことがあって、それを痛切に感じた。いつ、どのような死に方をするかわからない。けれど最後は、ありがとうと言えそうな気がする。見送るときも、見送られるときも。人が生きていることは、ありがとうなんだな」彼はゆっくりと振り向いた。「いまだからたずねるけど、あのとき、きみはわざと海に落ちたんじゃないのか?」作/片山恭一 画/リン, 【手間と時間をかける「稲刈り」 – おやさと瑞穂の記 その7】おやしきの北東には、教祖のご在世当時の風景を彷彿させる豊かな田園風景が広がり、親神様にお供えするお米が昔ながらの方法で栽培されている。今回は「稲刈り」の様子を紹介する。10月11日、いよいよ稲刈りが始まった。機械で行えば数日で終わる作業も、ここでは人力で行われるので相当の手間と時間がかかる。稲刈りの作業は、右手に鋸鎌を持ち、稲株を左手で握って、地面から5〜6センチほどの部分を刈り取り、刈り取った稲を束ねて稲架に掛けていく。実際にやってみると、一人でやるには気の遠くなるような作業である。そこで、昔から収穫期には大勢の人手を頼んで一斉に稲刈りを行った。明治のころには、稲刈りの時期になると小学校が休みになり、子供も手伝うのが一般的であったという。10月13日には、天理小学校の児童が稲刈りに訪れ、秋の田んぼに子供たちの元気な声が響いた。稲刈りは、10月24日まで約2週間かけて完了。その間、専修科生、おやさとふしん青年会ひのきしん隊、天理教語学院生、天理小学校の児童、本部勤務者など、延べ750人がひのきしんに駆けつけた。稲架に掛けた稲は、このまま10日から2週間ほどじっくり時間をかけて「太陽の光」「自然の風」によって乾燥させる。教会本部管財部の担当者である森本孝一さんは、ここのお米づくりの特徴の一つに、天日干しを挙げる。現代の農業では、コンバインで刈り取りをして、すぐに乾燥機にかけるのが一般的だ。ところが、機械で乾燥させると短時間かつ高温で乾燥させるために、お米に負担がかかって、ひび割れなどができやすくなるという。ここで取れたお米は、親神様にお供えするので、お米を洗って乾燥させたときに胴割れが起きないよう、大変な手間ではあるが、あえて天日干しにこだわっていると森本さんは話す。これに加え、お日様のもとでじっくり干したお米は、うま味も食感も別格といわれている。『稿本天理教教祖伝』には、中山家に嫁がれた当時の教祖のご様子について、次のように伝えられている。「朝は早く起き、自ら先に立って朝餉の仕度にかかり、日中は炊事、洗濯、針仕事、機織りと一日中家事に勤まれたのみならず、農繁期の、田植え、草取り、稲刈りから、麦蒔き、麦刈りに到るまで、何なさらぬ事は無かった。後年、『私は、幼い頃はあまり達者でなかったが、百姓仕事は何でもしました。只しなかったのは、荒田起しと溝掘りとだけや。他の仕事は二人分位働いたのやで』と、述懐されたように、男の仕事とされているこの二つの力仕事を除いては、農家としての仕事は何一つとしてなさらぬ事は無かった」教祖が人一倍の働き者であらせられたのは、人間の元の母親である、いざなみのみことの魂のいんねんのうえからであろうと思われるが、ここでの昔ながらのお米づくりを通して、こうした教祖のご性行の一端を偲ぶことができた気がして有り難い。次回は、収穫後の作業について紹介する。(文=諸井道隆)下記URLから、「おやさと瑞穂の記」の過去記事を見ることができますhttps://doyusha.jp/jiho-plus/pdf/oyasato_mizuho.pdf