天理時報2022年12月21日号8面
【心のまことしんぢつがきく – おやさと瑞穂の記 その8(最終回)】おやしきの北東には、教祖のご在世当時の風景を彷彿させる豊かな田園風景が広がり、親神様にお供えするお米が昔ながらの方法で栽培されている。最終回は収穫からお供えまでを紹介する。10月11日から24日にかけて稲刈りが行われ、刈り取った稲は稲架に掛けて10日から2週間ほど天日干しされた。これを順次、脱穀機にかけて籾と藁に分けていく。次に、その籾からお米と籾殻を分ける籾すり機にかけて、ようやく玄米がお目見えした。脱穀の様子ちなみに脱穀した後の藁は、藁細工や堆肥の原料に使い、籾殻は、燻炭焼にして苗代づくりに欠かせない資材となる。ここでは親神様から頂いた立毛の恵みを一切無駄にせず、再び大地に還す農業が行われている。収穫された玄米は、精米した初物の白米として親神様、教祖にお供えした後、11月22日に本部神饌掛に納めて、本年の稲作は無事完了した。今年収穫された玄米教会本部管財部の担当者・森本孝一さんによると、今年の1反当たりの収穫量は450キロほど。全国平均の536キロに比べると少ないが、ここでは農薬を使わないので風通しを良くするために株間を広くして植え、化成肥料を使わない自然農法をしているので上出来だという。ところで、教祖は、ある先人に「神のせき込みというのは、日本国中から唐天竺の世界の涯まで、百姓を第一に救けたいのである。その救けとは、肥を置かずに一反につき米四石、五石までも収穫させたい」(『根のある花・山田伊八郎――先人の遺した教話(三)』)と、「肥のさづけ」のお話をされたことが伝えられている。1石は150キロなので、ここの収穫量は3石、全国平均は3.6石ということになり、現代農業でも4石に届いていない。調べてみると、明治初期のお米の収穫量は1反当たり180キロ程度だったということなので、教祖が教えられた肥のさづけの収穫量は、当時としては驚異的な数字だったと思われる。さて、お米づくりもここでひと休みというところであるが、実は、来年に向けての作業がすでに始まっていた。11月5日、この日はおやさとふしん青年会ひのきしん隊の隊員80人に女性隊員も交じって、稲刈りが終わった後の田んぼに堆肥をまく作業を手伝った。堆肥は、神苑の植木の剪定くずを粉砕したものや、本部から出る野菜くずなどを混ぜ合わせ、2年間熟成させて作ったもの。冬から春にかけて、この堆肥で大麦やタマネギ、ジャガイモを育てて土を肥やす。これらを6月初旬までに収穫し、また田植えが始まるというのが1年のサイクルだ。最後に森本さんに、普段から大切にしている心がけを尋ねてみた。「とにかく日参を欠かさないで、おぢばにしっかりとつながって、信仰心を深めていくこと」と返ってきた。おふでさきに、こへやとてなにがきくとハをもうなよ心のまことしんぢつがきく(四号51)とお教えいただく。親神様に「心の誠真実」を受け取っていただいてご守護を頂戴する、このおやしきならではの農業が、いつまでも続いていくことを願ってやまない。(文=諸井道隆)下記URLから、「おやさと瑞穂の記」の過去記事を見ることができますhttps://doyusha.jp/jiho-plus/pdf/oyasato_mizuho.pdf, 【第34話 まがい物の夜 – ふたり】鉛色の海が一面に広がっていた。いまにも雨が降り出しそうな天気だが、波は穏やかで海水は温かい。それに少々雨が降ったところで、水のなかでは関係ない。子どもたちは早く海に入りたくてうずうずしている。他の子どもたちはあんなに楽しそうに泳いでいるじゃないか。よろしい、レッスンをはじめよう。ひととおりの注意事項を伝えると、カンは子どもたちを海に導いた。異変が起こったのは、海に入ってから三十分ほど経ったころだ。一人の男が片方の腕で水を掻き、なんとか態勢を立て直そうとしてもがいていた。水面から突き出した顔を苦しそうにしかめている。歳は六十歳くらいだろうか。きっと足でも攣ったのだろう、とまわりの者たちは思った。そのうち男は沈みはじめた。意識を失った男を抱えて、カンは岸をめざした。幸いそれほどの距離ではない。途中からはビョーンさんが手を貸してくれた。元理学療法士の彼は男を砂浜に横たえて反応や呼吸の有無を確認した。そのあいだにカンは携帯電話で救急車を呼んだ。駆けつけた隊員の一人に、カンが事故の様子を説明した。どうやら男は水のなかで脳梗塞か脳出血かを起こしたらしい。もう一人の隊員は車の無線で連絡をとっている。それから二人は手際よく担架を組み立て、男を車のなかに運び入れた。男の娘らしい女性が同行することになった。水着の上に丈の長いTシャツを着ている。病院に行く恰好としてはあまりふさわしいとは言えないが、緊急事態だからしょうがない。小学生くらいの二人の男の子がいた。きっと四人で海水浴に来ていたのだろう。母親は息子たちに事情を説明して、おばあちゃんのところへ戻るように言った。「助かるといいな」。走り去っていく救急車を見送りながらビョーンさんが呟いた。心配そうに集まってきた子どもたちは、みんな少なからずショックを受けている様子だった。天気も崩れはじめているので、カンは残りのレッスンを陸の上で行うことにした。子どもたちを屋内へ誘導しようとしたとき、彼は自分の名前が呼ばれるのを聞いた。振り向くと一人の若い女性が立っている。わたしにはそれが誰なのか、すぐにはわからなかった。「救急車のサイレンが聞こえたので来てみたの」ツツ。小学生のころ、浜辺の砂に埋まって溺れかけた少女。二人はしばらく無言で向かい合っていた。海の上は急速に暗くなりつつある。まがい物の夜がやって来ようとしていた。「あとで少し話せる?」カンは頷いて、身体が空く時間を伝えた。霧がかかった海の向こうで、稲妻が音もなく光った。多くの海水浴客たちは、足早に引き揚げようとしていた。作/片山恭一 画/リン