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天理教の教祖はどんな方? – 身近で聞いた素朴な問いに WAKUさんがお答えします


イラスト/なんばなつこ

「日本史の授業で、天理教の教祖は女性だと習ったのですが、どんな方だったのですか?」と、知人の娘さんに質問されました。

天理教教祖・中山みき様のことを、私たちは親しみを込めて「おやさま」とお呼びしています。

教祖は寛政10年(1798年)、現在の奈良県天理市にお生まれになりました。教えによれば、教祖は人間創造のときの、母親の魂のお方だということです。幼いころから慈悲深く、同情の心に篤い方で、13歳で中山家に嫁がれてからは、誰からも敬われ慕われる奥様でした。

41歳のとき、神の啓示を受け、「月日のやしろ」と定まられました。月日とは人間の親なる神様のことで、天理教は、その親神様が教祖のお口を通して、直々に語りかけてくださった教えなのです。

教祖はまず、近隣の貧しい人々に家財を施し、貧に落ちきる道を歩まれました。そして、時には食べるに事欠くなかも、明るく勇んでお通りになりました。

やがて、教祖を「生き神様」と慕い寄る人々が現れるようになると、神社仏閣や官憲からの迫害干渉が始まります。しかし教祖は、そんな道中も変わることなく、いそいそとお通りになり、人々をたすけ、導き育てられたのでした。

こうして教祖は、90歳でお姿をかくされるまでの50年にわたって、「陽気ぐらし」のひながた(手本)をお残しくださいました。そして今もなお、お姿は見えないものの、存命のまま親心をもって私たちをお導きくださっています。

教祖がお示しくださったお手本に沿って生きること、それは誰もが幸せになる確かな道なのです。

教祖のことについて詳しく知るには、『劇画 教祖物語』を読むことをお勧めします。きっと感動するはずです。


西村和久(天理教一筋分教会長)