何があっても「だけど有難い」- 心に効くおはなし
痛いとか、つらいとか、悲しいとか、苦しいとか、信仰していたら感じない。そんなはずはないのです。やっぱり痛いときは痛い、つらいときはつらい、悲しいときは悲しいのです。しかし、お道を信仰した人たちは、「だけど有難い」――こう考えたのだと思うのです。
何があっても「だけど有難い」。この考え方が大事だと思うのです。うれしいことがあれば、誰だってうれしいのです。幸せなことがあれば、誰だって幸せなのです。つらい、苦しい、痛い、だけど有難い。何が有難いのか。そう言ってから、考えたらいいではありませんか。きっと浮かんでくると思います。
私たちの先輩は「つらいけれど有難い」「苦しいけれど有難い」――そう言って何が有難いのか、そこに神様の思召を求める思案をして、「本当に有難いな」と芯から思えるようになり、お道を通ってますます結構になったという人たちなのです。
人生には、時には泣くに泣けないこともあるかもしれません。しかし、それは決して罰が当たっているのではないのです。親神様の「どこまでもたすけてやりたい」「陽気ぐらしを味わわせてやりたい」との親心から、お見せいただいているのです。ですから、何が有難いのかを考えてみれば、必ずその親心に突き当たります。先輩方を見習って、私たちもしっかり「だけど有難い」という心の持ち方、歩み方をさせていただきたいと思います。