天理時報オンライン

心の硬いしこりを柔らかく、力いっぱい年祭活動をつとめきる


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阪口宣広(四海浦分教会長・49歳 大阪府高石市)

令和3年10月、私に肺腺がんが見つかりました。幸い、3センチほどのものが1カ所だけだったので、翌月に摘出手術をし、その後、リンパ節への転移が見つかって抗がん剤治療が追加され、4回入院しました。

その間、長女が休職して修養科を志願してくれ、高校3年生だった次女は、おさづけの理を拝戴した翌日からおさづけを取り次いでくれました。部内の布教所長さんやよふぼくさん方、上級教会や教区・支部の先生方など、多くの方々に心を掛けていただき、おさづけを取り次いでいただいて、本当にありがたい日々を送らせてもらいました。

がんの身上が分かったとき、義父が「素直に受ける心が足りんからや」とズバリ。私は昔から大変短気で高慢で、折々に事故や子供の身上などに見せていただき、その都度反省してきたつもりですが、なかなか癖性分を取ることができないでいました。以前、上級の前会長の奥さまから「事情の次は、身上」と聞かせていただいた通り、いよいよ親神様・教祖から身上に直接しるしを見せていただいたのだと感じました。そして、いままでできなかった心の切り替えを、今度はできるだろうかと不安にもなりました。しかし、あらためて思い返すと、がんが見つかったのは諭達発布のちょうど1年前。皆さまのおさづけのおかげで順調に回復し、ゆっくり心の準備をして年祭活動を迎えられる絶妙のタイミングでした。そう考えると、親神様・教祖が、どうにもならない私の心根を修理して、これから先の年祭活動に道具として使っていこうと段取りしてくださったのかもしれない、どうにか頑張らせてもらえるだろうという気持ちが湧きました。

振り返ると、教祖百十年祭では、三代真柱様の「これからの三年千日、いわゆる年祭活動は、銘々が言われなくても自分で仕切って、思召に少しでも近づくような歩みをすることによって、応えていただきたいことを、強く希望する」(立教156年春季大祭)とのお言葉を胸に三年千日を通りました。直属学生会の委員長だった1年目は、自分たち若い者が一日でも早く自ら信仰を求めることが大事と考え、直属内のほとんどの教会に電話して、学生への「春の集い」参加の声かけをお願いし、2年目からは詰所青年として、帰参者の受け入れをはじめ、おぢばで一生懸命伏せ込ませてもらいました。

百二十年祭では、「布教の家」での経験を生かす時だと考えて、「毎日にをいがけ」を年祭活動としてつとめました。元日の朝、元旦祭の準備を終えてにをいがけに出させていただくと、近所のご婦人に早速おさづけを取り次ぐことができ、通わせてもらうようになりました。また、にをいがけ中に遊び相手をした子供の父親から「こどもおぢばがえりに参加させたい」と電話がかかってきましたが、その父親は天理教を全く知らない方でした。同じ時期に、母の友人や近所の方など、新たな人たちから子供を参加させたいとの声が次々上がり、大変にぎやかなこどもおぢばがえりになりました。その中には、学生会までつながって、よふぼくになった子もいます。

百三十年祭は、教会長として初めて迎えた年祭です。教会としては「身上事情にお知らせいただく前に、進んでつとめさせていただこう」と方針を掲げ、めいめいに具体的な目標を立ててもらいました。そして、三年千日を皆、大きな身上・事情なく通らせていただき、ありがたさを分かち合いました。

このたびの秋季大祭は、神殿の結界前で参拝しました。ゆっくり神殿上段に上がられる真柱様のお姿に並々ならぬ思いを感じて、力いっぱい年祭活動をつとめきらせていただこうと心に誓いました。

年祭活動は、こちらが力を入れた分を普段以上にお返しくださる、とても楽しみな旬です。今回は、私自身ががんという大きな宝を親神様から頂戴したので、特にがんの方のおたすけをさせていただけるよう、にをいがけに励みたいと思います。同時に、教祖ひながたを胸に、がんの元となる心の硬いしこりが柔らかくなるよう努め、この年祭活動を皆さんとともどもに楽しんで通らせていただきます。