天理時報オンライン

相次ぐ節にも心を倒さず歩んだ先に見えたご守護


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空閑一将(西田川分教会長・46歳 福岡県福智町)

立教176年1月26日、教祖百三十年祭に向かう三年千日のスタートと定めた日の早朝のことです。詰所で、会長である父の具合が突然悪くなり、「憩の家」へ向かいました。父をベッドに寝かせると、そのまま意識を失い、医師から「状態は非常に悪い。覚悟をするように」と告げられたのです。

多くの人がおさづけを取り次ぎに駆けつけてくださいました。しかし、翌日になっても父の意識は戻りません。母から「教会に戻って、もしものときの準備をしなさい」と言われ、最後にもう一度おさづけを取り次いで、おぢばを後にしました。その道中、出直しの連絡が入りました。

これが私の、教祖百三十年祭に向かうスタートとなりました。

その年の4月、教会長任命のおはこびをさせていただくことになりました。おぢばへ向かう前日、部内の布教所長から「神実様をお返ししたい」と連絡がありました。いろいろ話をしましたが決意は固く、おぢばから戻ってすぐ、神実様を引き取りにいきました。これが、会長として最初の御用でした。

父の出直しのショックも癒えず、年祭活動の1年目は、教会の御用をつとめるだけで精いっぱいでした。母から「『布教の家』の寮生に倣って、昼食を抜いてみたら?」と、心定めを提案されましたが、3日で断念。その後も、信者さんの出直しが続き、相次いで2軒の神実様を引き取りました。どんどん落ち込んでいく私の姿を見て、周囲の人も心配したのでしょう。「教会を挙げての心定めをしましょう」と、声を掛けてくださるようになりました。

年祭活動2年目に入ったころ、ある教会が「3,000人のおぢば帰りを心定めし、毎月2回、マイクロバス団参をしている」という話を聞きました。当教会にもマイクロバスがあったので、部内教会と合わせて「2,500人のおぢば帰り」を打ち出しました。それからは、赤字にならないようにと、頭の中はおぢば帰りのことでいっぱいでした。

福岡からおぢばまで片道8時間。詰所で1泊し、翌日の午前中は別席もしくは基礎講座。正午に、定時のおつとめに参拝しておぢばを発つ、という大変な道中でしたが、信者さんたちと語り合う貴重な時間となりました。

また、大教会が年祭活動の実動項目としていた「1日1回のおさづけ」「月4枚のチラシ配り」を実践してほしいと、信者さんに呼びかけました。

3年目に入ると、不思議と身上・事情を抱える方々に出会うようになりました。積極的におぢばへ導き、その中から別席者や修養科生、教会に住み込みをする方をご守護いただきました。

いよいよ百三十年祭の日が近づきました。1月25日、九州は大雪となりましたが、マイクロバスにチェーンを装着し、おぢばへ向かいました。途中、屋根の雪が溶けて雨漏りするアクシデントがありました。「服が濡れて申し訳ありません」とおわびすると、逆に「これを機に新しいバスを買いましょう」と言ってくださり、その年に新しいバスをご守護いただきました。

年祭活動の1年目に3軒の講社を引き取りましたが、旬の勢いを頂いて取り組むうち、新たに3軒、神実様を祀ってくださる方が現れました。
「1日1回のおさづけ」は毎日、朝づとめ後に、参拝者がお互いにおさづけを取り次ぎました。これは現在も続けています。毎日取り次いでいる信者さんの中には、身上者がいればどこでもおさづけを取り次ぐ人や、すぐに教会へ導いてくる人、また、ご守護を願っておぢばへ足を運ぶという人もいます。この10年で皆さんが、おたすけ人として大きく歩みを進めてくださいました。
「月4枚のチラシ配り」も多くの人が取り組んでくださり、何人かは、いまも継続しています。毎月100枚の心定めをしているという人は「このチラシを楽しみに待ってくれている人がたくさんいるんです」と話し、勤務先の店舗にもチラシを置いてくれています。すっかりチラシ配りが趣味になったと聞かせてくださいました。

そうした信者さんたちの成人の姿は、すべて親の徳のおかげですが、心定めの大切さは芯から身に染みました。

教祖百四十年祭に向かって、「旬の声に沿いきる」「おぢばにつながる、おぢばにつなげる」ことが、私の心定めです。この信念を持って、年祭活動を進めていきたいと思います。