天理時報オンライン

立場にふさわしい成人を目指し


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美並美津惠(夛味分教会長夫人・61歳 奈良県田原本町)

教祖百四十年祭を、よふぼくとして、また婦人会の委員部長として迎えさせていただきます。

10年前、教祖百三十年祭に向けて、城法大教会で諭達の本部巡教を受ける日の朝、私はぎっくり腰になってしまいました。会長夫人という立場ではあっても、両親に見守られて甘えがあったと反省し、腰の入れ所を思案して、それ以来「おぢばへの日参と十二下りのおつとめ」を続けてきました。

百四十年祭へ向けての、私のよふぼくとしての心定めは、この日参と十二下りを、さらに真剣に実行させてもらうことです。そう思案したのは、昨年11月に本部巡教を受けて以降、胃腸の調子が優れないからでした。信者さんには常々、すべてが親神様のご守護あってのことと話しているのに、いつの間にか、私自身が「日参している。十二下りを勤めている」と、どこか慢心し、ご守護が“当たり前”になってしまっていたと気づいたのです。消化吸収する働きの不具合を思案し、親の声をしっかり心に治め、身につくように三年千日をつとめたいと思います。

もう一つ、委員部長としての心定めは、教会の婦人会で立教129(昭和41)年から月に1度実施している、にをいがけをさらに充実させることです。どんななかでも喜び勇む元は、感謝の心でつとめる、にをいがけ・おたすけだと思います。この、月に1度のにをいがけは、教祖百四十年祭が勤められる年の7月に、開始から60年を迎えます。現在、最初から参加してくださっている方は2人おられ、そのほかは子供の代に引き継がれています。このにをいがけを通して、次代に続く人たちと共に、陽気ぐらしができるよふぼくに成人できるよう、仕切ってつとめたいと思います。

昨年11月に、内孫が生まれ、その喜びで教会の中が明るくなりました。迎える三年千日、孫の成長に負けないように、陽気に明るく、神様の御用を通して「立場にふさわしい成人」ができるように努めたいと思います。

年祭活動ごとにお見せいただくさまざまな事柄はすべて、教祖からのプレゼントとしてありがたく頂戴し、
「やさしい心になりなされや。人を救けなされや。癖、性分を取りなされや」(『稿本天理教教祖伝逸話篇』一二三「人がめどか」)とのお言葉を心に、少しでも教祖にご安心いただけるようつとめさせていただきたいと思います。