天理時報オンライン

韓国の道のために心血を注ぎたい


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裵成祥(トングァン教会長・48歳 大韓民国慶尚南道昌原市)

教祖百三十年祭へ向けて「諭達第三号」が発布された日、私は教会長の理のお許しを戴きました。年祭に向かって、毎日の十二下り、お供え、ひのきしんの心定めをしました。

会長になる直前、父(前会長)から、借金があることを知らされました。それは父が長年、苦労して人々をたすけ導くなかに積み重なったものです。とはいえ、数十年かけても返せないと思われる金額であり、信者からのお供えだけでは利息分にも足りず、借金は増すばかりでした。

「教祖!どうか百四十年祭には借金のない教会に……」と祈念しつつ、ひたすら心定めを実行するなか、不思議なことが起こりました。金銭のお与えが増え始めたのです。信者には一切、借金のことを話していません。にもかかわらず、まるで天から雨が降るようにお与えがあり、それが毎月続きました。

そうして年祭活動1年目のうちに、すべての借金が返済できたのです。不思議にも、恵みの〝雨〟は、これを境に元の状態に戻りました。

心定めを完遂しようと努めるなかで、一番大変な事情が解決されました。ご存命の教祖は常に寄り添ってくださっていると感じます。

時が経ち、教祖百四十年祭の旬が来ました。このたびの私の心定めは、韓国の地に、教会系統を超えてたすけ合う場所をつくることです。

韓国のお道はいま、冬の中にあると感じます。木の年輪は冬にでき、年輪こそが木を美しくします。また、風雨に折れない強さも年輪のおかげです。幾多の先人が教祖と共にお道の冬を歩かれました。神様はもったいなくも私に、この冬を教祖と共に歩むことをお許しくだされたのです。

周りを見れば、食べることさえ大変ななかも、人生をささげて道を歩む布教師がいます。心を尽くして信仰してきたものの、老いて身の置き所のない信者もいます。心を病み、一日一日を必死に生きている若者もいます。狭い韓国の道ならばきっと、系統を超えて互いにたすけ合える場所を設けられると思います。

この年祭の旬は、自分の教会のためではなく、韓国の道のために心血を注ぐつもりです。すべては借りものであり、自分の教会、自分の信者というものはありません。いうなれば、すべて教祖のものだと思います。

ご存命の教祖は、先回りしてお待ちくださっています。韓国の道に春が訪れるよう、日々月々のおつとめを芯に、ひながたを頼りに成人の歩みを重ねていきたいと思います。