占いが流行る不透明な世相に – 視点
朝のニュース情報番組から始まり、雑誌やインターネット、ショッピングモール等、至るところで占いを目にする。占いの市場規模は1兆円ともいわれ、およそ4人に1人がこの1、2年の間に、おみくじを引いたり、易や占いをしてもらったりしたことがあるという(『現代日本人の意識構造』)。単なる娯楽の一つかもしれないが、将来への不透明さが増すなか、何らかの指針を求めている世相にも見える。
古来、日本には、亀卜や式占をはじめ、多種多様な占いが伝わっている。多くの場合、それらは国を治めるための指針を占うもので、神祇官や陰陽寮等の限られた人が司った。
占いの大衆化は、近世以降と見られる。江戸期のどの家にも備わっていたという「大雑書」は、幕末には生活百科事典の趣をなすものの、本来は暦占書であり、数多くの占いを収録している。また、江戸期に流布した「御籤本」から時代を経るにつれて、おみくじの受容層が武家のみならず百姓や町人に至るまで幅広くなっていることもうかがえる(大野出著『江戸の占い』)。
ところで、こうした占いとは全く異なるが、教祖は、元治元年から熱心な信者に対して「扇のさづけ」を渡された。これを頂いた人は、扇の動きによって神意を悟ることができたという(桝井孝四郎著『おさしづ語り草』)。しかし、このさづけは、のちに悪用する人が現れて理を抜かれてしまった点に留意したい。ほこりで曇った心では、神意を悟ることはできないという戒めだろう。
「おふでさき」に、「せかいぢうをふくくらするそのうちわ 一れつハみなもやのごとくや」(六号14)とある。いまなお先が見通せない中で暮らしているお互いである。しかし、「にち/\にすむしわかりしむねのうち せゑぢんしたいみへてくるぞや」(六号15)「このみちがたしかみへたる事ならば このさきたしかたのしゆでいよ」(六号16)と続くように、をやの声を素直に聞き、時旬に応じた成人への努力を重ねることによって、陽気ぐらしへの確かな道も次第に見えてくるのではないか。
(三濱)