おやのことば・おやのこころ(2022年1月26日号)
何でも親という理戴くなら、いつも同じ晴天と諭し置こう。
「おさしづ」明治28年10月24日

例年ならば、お節会でにぎわうころに、がらんとした詰所の受付に一人の信者さんが来られて「すみません、今年も16日はお赤飯とエビフライでしょうか」と尋ねられます。お尋ねの意味が分からずにポカンとしていると、「コロナの影響もあるのかと思いまして」と仰います。もしや炊事本部のメニューのことかと思い、青年さんに事務所に貼ってある献立表を見てもらうと、なるほど16日の昼食は赤飯とエビフライに違いありません。それを伝えると、その方は「それは良かった、あらためて食券を買いに来ます」と柔らかな笑顔をされ、「毎年、真柱様のお誕生日には妻と神殿で参拝して、詰所の食堂でお赤飯とエビフライを頂いて、夫婦でささやかなお祝いをさせていただくんです」と嬉しさを包みません。
そのお話に、大切な信仰にふれたようで、胸にしみいる思いがしました。
真柱様がお健やかにおいでくだされてこそのお道であることは言うまでもありません。旬々のお導きはもとより、おさづけの理の拝戴や教会長の任命など、あらゆるお運びにおいて、ご存命の教祖と私たちを取り持ってくださる、かけがえのない親であられるからです。
毎年心嬉しく、ご誕生日のお祝いをされるご夫妻は、きっと今年も晴天のごとき日々を送られるのだろうと、清々しい思いのする新年です。
(橋本)