ひながたの輝きと力強さ – 視点
真柱様が年頭あいさつで教祖140年祭に言及されてから、初めての春季大祭を迎える。
年祭に向けての三年千日は、いつも以上に集中して、教祖ひながたをたどる時旬である。
近年「ひながた」に対して、暗いイメージを抱いている人が意外と多いことに気づく。
確かに、教祖の道すがらは「やまさかやいばらぐろふもがけみちも」(おふでさき一号47)といわれるように、貧のどん底であったり、監獄への御苦労であったり、一見すると大変な道の連続である。
しかし見落としてならないことは、その道中のお心である。
一つ例を挙げると、教祖は「貧に落ち切れ」との親神様の仰せのままに、家財道具や家屋敷、田地に至るまでなくしてしまわれた。嘉永6年には、一家の大黒柱であった夫・善兵衞様が亡くなり、中山家の母屋をも手放され、文字通り「貧のどん底」に落ちきられた。
その折、教祖は、この厳しい事態において、「これから、世界のふしんに掛る。祝うて下され」と、人夫たちに酒肴を振る舞われた。このような陽気な家毀ちは初めてやと、人々は言い合ったと伝えられている。
「おさしづ」に「この道始め家の毀ち初めや。やれ目出度い/\と言うて、酒肴を出して内に祝うた事を思てみよ。(中略)家の毀ち初めから、今日の日に成ったる程と、聞き分けてくれにゃなろまい」(明治33年10月31日)と諭される。
いわゆる世俗的な支えがなくなった、この時を転機に、道は外へと展開し、次第に人々が寄り集い、今日の日になったのである。
教祖はどんな中も、心明るく、いそいそとお通りくださった。いかなる状況でも心勇んで通れることを、教祖は身をもって教えてくださった。
教祖お一人の誠真実から、この道は始まり、先人が教祖のお心をもって通られたからこそ、陽気ぐらしの真実の道は伸び広がってきたのである。
こうした教祖のお心にこそ、ひながたの輝きと力強さがあり、勇気を頂戴するのである。
(山澤)