歴史を拓いた大隈侯のひらめき – 日本史コンシェルジュ
早稲田大学の創立者であり、政治家としても日本初の政党内閣を誕生させ、総理大臣を二度務めるという華々しい実績を持ちながら、大らかで天真爛漫な性格が民衆に愛されたと伝わる、大隈重信。実は彼には、意外に知られていない功績が存在するのです。
その一つが、日本の通貨単位「円」の制定です。それまで四角形だった硬貨を円形にし、さらに4進法から10進法に変えるなど、貨幣制度を世界水準にしました。そして、暦も旧暦を改め、太陽暦を導入しました。通貨も暦も、明治政府が行った現代につながる重要な改革ですが、それらを中心となって推進したのが大隈でした。
そしてもう一つ、見逃せない功績があります。文明開化の象徴の一つに、新橋-横浜間の鉄道の開通が挙げられますが、その鉄道事業を提案し、最高責任者を務めたのが大隈でした。人力車や飛脚など、人のチカラで人や物を運んでいた時代に、全国に鉄道を通してもっと便利な社会を築こうとした大隈の構想力は、素晴らしいですし、明治維新からわずか4年で鉄道の開通にこぎつけたのは、明治日本の快挙と言えるでしょう。
しかし、この鉄道事業は、一筋縄ではいきませんでした。鉄道の通り道である高輪に軍用地があったのですが、この土地の提供を軍部が拒んだからです。ここで、大隈の発想力が際立ちます。当時は列車のことを「陸蒸気」と呼んでいましたが、陸を走るから「陸蒸気」なのに、大隈はその陸蒸気を海に通すことを決断しました。そして、田町-品川間の海上に全長2.7キロの堤防を築き、その上に線路を通したのです。
よくぞそんな方法を考え出したと驚くほかありませんが、大隈の故郷・佐賀には有明海があり、その干拓の歴史は古いので、もしかしたら干拓により海を陸に変えた故郷の風景が、大隈のひらめきにつながったのかもしれません。現在、JR東日本は品川開発プロジェクトを進めていますが、その計画エリア内から、大隈が主導した堤防の一部が出土。日本の近代化土木の歴史や技術を伝える、貴重な遺構として注目を集めています。
今年は大隈重信の没後100年という節目の年。時代の変革期を迎え、大隈の発想力や行動力から多くのヒントを学べそうですね。
白駒妃登美(Shirakoma Hitomi)