天理時報オンライン

みんなのおかげで今がある – わたしのクローバー


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濱孝(天理教信道分教会長夫人)
1972年生まれ

ラグビーをやりたい

小学生だった三男が、ラグビーをやりたいと言いだしたとき、私は本気にしなかった。ずっとサッカーを習っていたし、子供が通えるラグビースクールなど身近になかったからだ。

友達が中学進学後のサッカークラブを見学しに行っても、息子は全く興味を示さなかった。休日には祖父に買ってもらったラグビーボールを、ひとり公園で蹴っていた。事あるごとにラグビーをしたいと訴える息子に、主人と私も真剣に考えるようになった。

遠く離れた街に、強豪のラグビースクールがあるのは知っている。お子さんをそこへ通わせている知り合いに、スクールのことを聞いてみた。夜間練習に早朝練習と、なかなかハードだ。電車で通わせようにも、田舎のJRでは、片道3時間もかかってしまう。無理だ。習わせたいのはヤマヤマだが、通い続けられない。

息子にどう伝えるか悩んでいたとき、その知り合いから電話がきた。うちに泊まって通えばいいよ、と。そんな厚かましいこと、お願いしていいのだろうか。相手の方だって、とても忙しい。それに第一、息子が尻込みするのではないか。だって、これまで一人でお泊まりなどしたことないのだから。

その申し出を息子に告げたとき、第一声は「やった!」だった。よし、親も腹をくくるしかない。

いつの間にか逞しく

急に現れた新入りに、選手たちは興味津々だった。コーチも手取り足取り基礎から丁寧に教えてくれる。

息子は教わったばかりのことを、眠い目をこすりながら一生懸命ノートに書いている。そして、ケガをしない強い体をつくるために、山盛りのご飯を黙々と食べている。

経験豊富な仲間たちに追いつこうと、息子は必死で食らいつく。サッカーで培ったキック力を買われ、だんだん試合に出してもらえるようになった。

夏休み恒例の菅平高原での合宿を、主人と覗きに行ってみた。

ボールを持って走る息子めがけて、相手は容赦なくタックルしてくる。両膝を血だらけにして、息子がベンチに戻ってきた。救急箱を持った控えの選手が、ペットボトルの水で傷口を洗い流してくれている。息子は歯を食いしばり、グラウンドを睨みつけたままだ。そして応急処置もそこそこに、あっという間にポジションに戻っていった。

イラスト・ふじたゆい

いつの間にあんなに逞しくなったのだろう。年の離れた二人の兄をニコニコと追いかけていた幼い末っ子は、そこにはいなかった。

練習に通う道中、息子といろんな話をする。学校や友達のこと、政治問題や社会問題、お気に入りの音楽、そして大好きなラグビーのこと。

時々、ラグビーを始めたばかりのころを思い出す。支えてくれる人たち、みんなのおかげで今がある。どれもこれも当たり前じゃない。

中学卒業まであと半年余り。きっと、もっともっとラグビーができる環境を求めて、県外の高校に進学するだろう。それまでのかけがえのない一日一日が、ただただ愛おしい。