怖い顔では褒められない – わたしのクローバー
藤本加寿子(天理高校元教諭)
1959年生まれ
「きれいですね」
私のことではありません。草引きしていた花壇を褒めていただいたのです。立派な庭ではありませんが、去年の挿し木が根づいて、小さな赤い花がたくさん咲きました。通りがかりの方のひと言で、朝から上機嫌の私です。
褒めるのが苦手だった
誰でも褒められるのはうれしい。でも、私は褒めるのが苦手だった。
84点を取った生徒に「少し詰めが甘かったかな?」と言って傷つけた苦い記憶がある。「よく頑張ったね」のひと言が先に出れば良かったのに、90点を取れるように、「もっと頑張れ」と言ってしまった。
褒められたらそこで満足して、次のステップに踏み出せなくなるのでは……とは、私の勝手な思い込みだ。頑張った生徒の「やる気」を知らずしらず摘み取っていた。
ある日の部活動では、「練習したくないなら辞めていいよ」と口にした。退部した生徒が、ほかの部で活躍している姿を見て、ホッと胸を撫でおろした。私にもっと大きな器があればと、とても申し訳なく思った。
「お母さんは褒めてくれない!」そう言って、ふくれていた娘たちのことも思い出す。子育てでも、褒めるのは実に難しかった。
幼いころは何をしても「すごいねえ」「よくできたねえ」と、父親よりも母親である私が一番に褒めていた。ところが、大きくなるにつれて口うるさい母親になった。だって、心配ですもの。調子に乗った娘たちの行く末が。
孫の動画に気づかされ叱って育てるよりも褒めて育てるほうが「やる気を伸ばす」「自己肯定感を育む」と耳にするようになって久しく、「子育て上手は褒め上手」の時代が来た。
自己肯定感――。自分で自分を肯定できなかった私が、一番欲しかったものかもしれない。厳しかった父の顔を思い浮かべ、少し恨めしく思うこともあった。
ところが最近では、「褒めて育てるデメリット」という言葉を目にする。「やれやれ、いつの時代も簡単にはいかないぞ」と思っていたら、動画が送られてきた。保育園へ通う2歳の孫がパジャマを着る様子だ。
まだまだパッパッと袖を通せない。ズボンもうまくはけないけれど、全部一人で着終えた孫娘は「どうだ!」と得意げな顔。すかさず「いいね」を押すおばあちゃんはデレデレだ。
動画には、「頑張れ!」「できた、できた!」と、応援する両親の弾んだ声も録音されていた。パジャマを着るだけでも、心から「すごい」と褒めている。これからどんどん大きくなっても、いつも「すごい」と声をかけ続けてほしいと思う。
なんでも褒めればいいわけではないけれど、怖い顔をしたままでは、褒められないことだけは確かだ。褒めることを意識すれば笑顔になれるんだと、孫の動画を見て、いまさらながら気がついた。
おチビさん、今日も褒めさせてくれてありがとうね。