天理時報オンライン

回り道の途上で見つかる「何か」 – わたしのクローバー


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川村優理(エッセイスト・俳人)
1958年生まれ

イラスト・ふじたゆい

地方のFM局でラジオのパーソナリティをしています。ラジオが好きになったのは、歌詞に集中して音楽を聴けるからです。

テレビの歌番組では、画像に見とれてしまい、歌詞を聞き取れていないことがあります。最近は画面の下に歌詞のテロップが流れるので、それを目で追いかけながら歌を聴きますが、つい、歌詞よりも華やかな画面のほうに気持ちが動いています。

ラジオからは、音以外の情報が届かないので、歌の伝える言葉が素直に心に沁み込む気がします。

見えないからこそ見える世界が、そこにあります。

俳人・阿波野青畝

俳句をたしなむようになったのは、明治から昭和にかけて活躍した俳人、阿波野青畝の描いた「花」という文字を見たことがきっかけでした。文字に、微笑んでいるかのような花の画像が見えたので、「あっ」と息を呑みました。

それは不思議な一文字でした。静かな音楽も、そこに潜んでいるように感じました。

のちに、阿波野青畝という俳人は、若いころから聴覚に不自由があったことを知ります。現実の音の世界と少し離れた場所にいたから、青畝の句には情景がくっきりと見え、文字に自然の息吹が重なって見えたのでしょう。

青畝は素晴らしい俳人でした。

無口だった祖母

病気やストレスや緊張などが原因で、声が出なかったり、伝えたい内容が言葉にまとまらなかったりすることがあります。また、職場や家庭、社会のさまざまな状況のために、言いたいことが言えない場合もあります。

祖母は無口な人でした。先日久しぶりに従兄弟と出会い、子供のころ、お正月やお盆に帰省してくる大家族を迎えて、お酒好きな一族のために台所に立ち続けていた祖母の話が出ました。

「おばあちゃんは、ようがんばらはったなあ」と、従兄弟が言いました。

私は、祖母からもらった言葉を何か覚えているかしらと、慌てて記憶の中を探してみましたが、何一つ覚えていませんでした。

従兄弟は、「それにしても、おばあちゃんの、お重に山盛りになった黒豆はおいしかった」と笑い、私は「こんにゃくもおいしかったです」と笑いました。

小さかった弟も、私も、従兄弟たちも、みんな祖母のお料理が好きでした。

見えないこと、聞こえないこと、話せないこと、動けないこと……できないことがあるのは不自由です。一つの「何か」ができないために、ずいぶんと努力を重ね、回り道をしなければなりません。

けれど、その回り道の途上で、「見えないからこそ見えるもの」や、「聞こえないからこそ聞こえるもの」や、「語れないから伝えられる、かけがえのない何か」を見つけることがあります。

ラジオ番組では、音楽に託して思いを伝えられるので、もう7年も続けているのです。