天理時報オンライン

ひながたをたどるうえでの“順序” – 三年千日 ひながたと私


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2024・1月号を見る

高田信男(梅路金沢分教会長・60歳・金沢市)

教祖百四十年祭三年千日に入る前年の4月ごろから、背中に激痛が走るようになり、食欲もなくなってきました。その3年ほど前に大腸がんの手術をしており、上級教会長のおさづけとお願いづとめの理でご守護を頂いた私は、「病院には二度と行かず、神様のお働きだけで通る」と、勝手に心定めしていました。ですから、体重が落ちて痩せこけていくのを心配した周りの人から受診を勧められても、病院には行きませんでした。

8月に大教会の当番に行った際、トイレで大量の下血に見舞われました。急きょ教会に戻ってからも下血は止まらず、それまで私の心定めを尊重していた妻が、見かねて病院に連れていってくれました。

受診の結果、「がんで肝臓の6割が侵されていて、余命1カ月」と宣告されました。上級教会長に報告すると、「すぐ抗がん剤治療をするように」とのこと。私は抗がん剤治療に悪い印象しかなかったのですが、人間思案を捨てて、会長の言葉のまま治療を始めてもらいました。すると、「効果は延命程度」という医師の言葉に反して、見る見る元気になっていき、さらに、コロナ患者の急増という状況もあって、わずか10日で退院となりました。その後も目立った副作用はなく、年末のCT検査では、がんがすべて消えて、腫瘍マーカーも陰性になっていたのです。

『天理教教典』に「あらゆる人間思案を断ち、一家の都合を捨てて、仰せのままに順う旨を対えた。時に、天保九年十月二十六日、天理教は、ここに始まる」(第一章「おやさま」)とあります。教祖のひながたをたどるうえで、この”順序”がとても大切なのではないかと思いました。身上を通して、会長の「仰せのままに順う」ことで、私もひながたの一歩を踏み出せたのではないかと、神様の深い親心への感謝の思いで胸がいっぱいになりました。

また、この節を通して、教会につながるよふぼくの方々が、理立てのお供えとして、真実の「つくし」を実践してくださいました。

年祭に向かって、教会につながるよふぼくともども、ひながたの万分の一でもたどらせていただいて、その姿を教祖にご覧いただき、お喜びいただきたいと思います。