きっと今年も素晴らしい一年に – わたしのクローバー
濱 孝(天理教信道分教会長夫人)
1972年生まれ
大みそかの夜には
小学1年生の、これから初めての冬休みに入るという終業式の日に、担任の先生がこんな話をしてくれた。
「大みそかの夜は、うれしかったこと、楽しかったことを一つひとつ思い出して、ああ良い一年だったと思って寝てごらん。そしたら、もっともっと素晴らしい一年がやって来ますよ」
背筋がしゃんと伸びた、学校で一番ベテランの先生だったから、とても説得力があって、大人はそんなことを考えながら寝るのかと感心した。
大みそか。布団に入ると、先生の言葉がよみがえってきた。私もやってみよう。覚えているようで思い出せない事柄を、ぼんやり振り返っているうちに眠りについた。
それから毎年、目をつむり振り返る。子供のころは楽しい思い出ばかり浮かんだものだが、大人になると、そうはいかないことも増えてきた。
結婚して、元旦もそれなりに忙しくなってからは、朝起きてからの段取りを一つひとつ、頭の中で確認しているうちに睡魔が襲ってくる。
隣の部屋からは息子たちの楽しそうな声が聞こえてくる。自分のことだけを振り返っていた時代はとうに過ぎ、家族や周りの人、いろんな人のうれしかったこと、悲しかったことが、ぽつぽつと思い出される。
神様からのギフト
三十代半ばの、まだ幼かった息子たちの子育てに追われていたある日、なんの予兆もなく急に足首の関節が大きく腫れ上がった。しばらくして、今度は体中のリンパ節に膨らみが見られ、妊娠してもすぐに流産してしまう数年が続いた。
あちこちの病院で検査を受け、最終的に、まだ治療方法の確立されていない自己免疫疾患だと診断がついたとき、正直ホッとした。なぜ?どうして?を繰り返していた長いトンネルから、ようやく抜け出た気分だった。
医者から治らない病気と言われて、開き直ったのかもしれない。次第に、ふつふつと上向きのエネルギーみたいなものが湧いてきた。せっかく生きている一日一日を、もっと大切に、陽気に過ごさなきゃもったいない。体の不調を環境や誰かのせいにし、現状に心を倒して鬱々と暮らすより、私の人生の最後まで、ひたすら前だけを向いて歩んでいこう 。
静かな病院の診察室で、そうきっぱりと思わせてくれた私のこの病気は、神様からのギフト、とびっきりのプレゼントだと受けとめている。
あの日以来、どんなことにも動じなくなった。身の周りで起きるすべての出来事は、神様の深い思いあってこそ。人生の流れに身を任せ、その思いがどこにあるのかを探しながら生きている。
楽しいこと、うれしいことばかりじゃない。悲しいことや悔しいこと、いろんな瞬間の積み重ねで、いまがある。いろんな時間が、いまの私をつくっている。
息子たちのカウントダウンの声が聞こえてきた。いろいろあったが、やっぱり良い一年、ありがたい一年だった。
私はいま生きている。きっと今年も素晴らしい一年になるだろう。私は、そう信じている。